声になれなかった声
あの日から、みえないところでほんとうは何があって、どうして最悪な状態になるまで追い詰められてしまったのか。講談社主催オーディション「ミスiD」実行委員長である方(以下、A氏とします。)から受けたこと。今までずっと表では言えなかったこと。これから、少しずつ言葉にしていきたいと思っています。長期にわたる出来事なので最後まで書くことができるかわからないですが、書けるところまで書きたいです。
ずっとずっと、こうしたかった。話したかった。でも出来なかった。そんな簡単なことじゃないから。とても、とても苦しいことだから。苦しくて苦しくてたまらなくなるから。
それでも言葉にすると決めたのは、ミスiDという場所で確かにあった不条理な出来事が永遠になかったことにされ続けてしまうことの方がずっと、ずっと苦しいからです。
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あれから、どれほど月日が過ぎただろうか。
当時は毎日のように見ていた悪夢も、頻繁に襲われていたフラッシュバックも、時が経つにつれて薄れていった。ミスiDというオーディションが昨年は開催されなかったことで、それについて目にする機会が減ったことも大きく影響していると感じている。
しかし、だからといって忘れられるわけでも、傷が癒えているわけでもない。ふれないように、ふれないように、無意識下でその傷に少しずつ蓋をかぶせていったのだろう。
心のずっと奥の方にあるその蓋のなかには、怒りや悲しさや悔しさ、言葉にできない苦しさ。地球よりも宇宙よりも大きいそれらが、今にも爆発しそうなほど溢れかえっている。
ほんとうは痛いのに、痛くないことにして、この一年くらいは生きていた気がします。
でも、そんなに頑丈にできていないその蓋は、ふとしたきっかけで簡単に開いてしまうようで、
それはたとえば誰かの傷や痛みにふれたとき、A氏が私や私たち(A氏から不誠実・理不尽な対応を受けたのは、私だけではないため。)にしてきたことはなかったことのような顔をして、のうのうと善人のように振る舞っているのをみたとき、A氏が慕われ神様のように崇められているのをみたとき。逃げ場のない狭い空間にいるとき。その蓋は簡単に開いてしまう。
最近はそういうときが多くあったことが影響し、また前のようにフラッシュバックに襲われるような日々で、このままでは何も変わることはなく、これから先もこういうことの繰り返しになってしまうと思います。
冒頭で書いた「なかったことにされ続けることの苦しさ」から解放されたいという気持ち、そして同じようなことが今後一切、二度と、もう二度と起きないようにと願う気持ちで、ここから先は記憶と記録を頼りに言葉にしていきます。
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※本題に入るにあたり、誰かのフラッシュバックの引き金となってしまう可能性や、傷つけたくない人たちを傷つけてしまう可能性があること、誰にでもみれてしまう環境で言葉にすることへの大きな不安や恐怖など、様々なことを考慮した上でここから先は一度指を止め読む選択をした人だけが読める形で公開します。
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