3ドアの都営バス
<C-W293 日野 HU2МL改 1990年代>
【おことわり】内容は掲載当時(2012年12月)のものであり、年数の計算などを修正しておりません。あらかじめご承知願います。
3ドアの都営バスをご存じだろうか。
「えっ、都営バスと言えば入り口と出口、二つしかドアがないんじゃないの?」
バスマニアでもない限り、この質問に対する返答は普通ならこうであろう。しかし、そのようなバスはある時期、確かに存在したのである。交通局の歴史上、通算わずか8台ではあったけれど。
今でこそノンステップバスが主流であるが、一昔前はバスに乗るためには入り口の階段を2段登らなければならなかった。また、車椅子のお客様がご乗車になる際には、運転手と他のお客様数名が協力し合い、車椅子ごとお客様をお運びする必要があった。乗車する際には協力を要請できたとしても、もし仮に終点で車椅子のお客様だけが残ってしまった場合、通行人に声をかけて降車のお手伝いをお願いするしかない。このような状況を解消するべく登場したのが、都市型超低床バスの試作車。1990年度のことである。
都市型超低床バスとは、出入り口の階段が従来より1段少ない、いわゆるワンステップ車。車内には段差がなく、さらに三つあるドアのうち、真ん中のドアには車椅子乗降用のスロープが装備されている当時としては画期的なバス。これにより、車椅子のお客様の利便性が格段に向上した。
しかし、試作車という特殊な仕様だけにコスト問題などが浮き彫りとなり、3ドア車はこの年度の8台限りで終了。
翌年度からは、2ドアのリフト付き超低床バス(中ドアにエレベータのような装置が付いていて、車椅子の昇降が可能)が導入されることとなった。なお、リフト付きの都営バスはすでに全廃となり、現在ではスロープ板での対応に統一されている。
高齢化社会が進行して、公共交通の存在意義が高まっている昨今であるが、全てのお客様が乗降しやすい人に優しい都営バスの原点は、ある意味、3ドアの都市型超低床バスにあったと言っても過言ではないだろう。
私事で恐縮だが、毎日のように3ドアのバスを運転していた時期がある。とはいえ交通局ではなく、最初に入社した路線バス会社に勤務していた頃にである。
あまりにも3ドアのバスに囲まれた環境にいたため、バスという乗り物にはドアが三つあるのが普通だと思い込んでいた(後に、日本で最初に3ドアのバスを導入した事業者だと知る。「3ドアだらけ」は特殊な状況だったのだ)。
安全上、全てのドアを開放するのは終点に限られていたのだが、ドアが一つ増えることで、驚異的な速度でお客様が降りていくのが実感として理解できた。かたやバリアフリーへの貢献、かたや乗降時間の短縮……3ドア車の存在は、路線バス事業の歴史に深く刻まれるべきだと、個人的には思っている。
2ドアバスが主流となり、かつて勤務したバス会社に残る3ドアバスは、今や1台となってしまった。新車の導入やメンテナンスに関して2ドア車の方が低コストであるという経済的な事情、さらには2ドアと3ドアが混在することによる乗降時の危険性(ドアの位置がバラバラだとガードレールの切れ目に停車位置を合わせられない)などの問題が加わり、3ドアのバスは表舞台から姿を消した。世の流れとは言え、寂しいものである。
話を都営バスに戻そう。イラストのバスは、冒頭の都市型超低床バス試作車8台のうちの1台である。90年度に導入され、91年に都庁舎が丸の内から西新宿に移転した際に新設された都庁循環シャトルC・H01系統でさっそうと走っていた。
バリアフリーという言葉になじみがなかった時代に、メーカーが技術の粋を集めて開発した「人に優しいバス」。そんな誇り高き車両が、建ったばかりの新都庁を訪れる人々を導いている。世の中はバブル崩壊に向かっていたとはいえ、その光景は希望に満ち、爽やかであったに違いない。
都庁が移転した21年前、あなたはどこにいましたか。3ドアバスを覚えていますか。
新宿駅から第一・第二本庁舎・都議会議事堂をかすめて新宿駅に戻ってくる8分間の小さな旅。動く歩道もいいけれど、時には最初の「優しい8台」に思いをはせつつC・H01系統に乗車してみるのも乙なもの。当時の初々しくもほろ苦い記憶がよみがえる……かも?
都政新報 2012年12月14日付 都政新報社の許可を得て掲載
【イラスト参考】都営バスの“非公式”総合ファンサイト「都営バス資料館」様に依頼し、参考資料(写真)を提供して頂きました