ある年、馬とすれ違う。【ゆっくり動く乗り物で~都バスの走る風景7】
急な団子坂を慎重かつ大胆に駆け上る都バス。
草63、「団子坂下」停留所付近(2017年)
余談だが、若い男女の会話劇、森鴎外の短編『団子坂』(『鴎外全集5巻』岩波書店所収)は魅力的。
人生には上り坂、下り坂、「まさか」があると言われるが、バスに乗車すれば少なくとも上り坂と下り坂は経験できる。
文京区の千駄木にある団子坂。この坂道を運行するバス路線は草63系統。池袋駅と浅草寿町とを結ぶ、都バスとしては比較的長距離を走る路線である。幕末から明治期にかけ、菊人形(全身を菊であしらった等身大の人形)を見せる小屋が坂の両側に並び、大層なにぎわいをみせたとのこと。今でこそ片側1車線の道路になっているが、菊人形全盛時代の団子坂の道幅は2間半。現在の尺度では5メートルにも満たず、勾配もかなりきつかったそうである(現在でも緩やかとは言えないが)。
個人的な話だが、団子坂には印象的な思い出がある。それは、バスに乗務中、馬とすれ違った体験である。
とある年の秋。池袋駅方向の運行で、不忍通りから団子坂下の交差点を右折。道路は混雑していたので、団子坂の途中でしばらく停車していた。すると、反対車線から、色とりどりの装束に身を包んだ行列がゆっくりと坂道を下ってきた。一目で祭礼と分かった。山車や神輿が荘厳に進む中、茶系で小ぶりの馬が見えた。さらに、白馬が馬車を引いていた。
この行列が、根津神社の例大祭、しかも4年に一度の神幸祭の巡行だと知ったのは、入庫して帰宅した後であった。小ぶりの馬は、神職が乗る日本古来の木曽馬。白馬がひく馬車に乗っていたのは、宮司(神社の代表を務める神職)とのことである。
その時の自分の驚きぶりがどれほどであったか。的確に表現する言葉が見つからないのがもどかしい。
とにもかくにも、山手線の内側で路線バスに乗務していて馬とすれ違った場面は、まるで夢のようであり、月日が経っても記憶している。
確かにその日は乗務前の点呼において、「沿道で祭礼があり、人出が見込まれるため、通常以上に安全に配慮すること」との指示はあったはず。とはいえ、馬と邂逅することはまったく想定していない。
高層ビルの立ち並ぶ副都心で蒸気機関車に遭遇したような、そんな気分であった。
団子坂上には、かの森鴎外が明治25年から亡くなる大正11年まで居住していた観潮楼の跡があり、現在では文京区立森鴎外記念館が建っている。鴎外の生きた時代にも、はたして団子坂には山車や神輿、木曽馬や白馬の巡行はあったのだろうか。
バスのなかった、いにしえの時代に思いをはせつつ、私は今日も団子坂を慎重に上る。
都政新報(2017年2月17日号) 都政新報社の許可を得て転載
※森鴎外の鴎は正式には鷗です。環境により表示されない場合があるため、便宜上、新字の鴎を使用しました。
※【参考資料】地域雑誌「谷中・根津・千駄木」其の八 特集「団子坂物語」(谷根千工房 1986年・夏発行)