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梅の印のバスに乗る【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から21】

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 JR青梅駅の改札を出て右へ進むと、都バスの乗り場にたどり着く。以前から梅01系統、玉堂美術館行(循環)のバスに乗車したいと思っていたが、8月の猛暑日にようやく決行することができた。梅01系統は土日・休日にのみ運行される路線で、行き先を示すLEDには梅の印(イラスト)が描かれているのが特徴だ。
 青梅駅を発車すると、万年橋で多摩川を渡り、住宅街を進んでいく。吉野まで20分ほどの区間は梅76丙系統と重複する。梅76丙系統は、早朝から夜遅くまで毎時2本から4本の頻度で運行されている。対して梅01系統は、土日・休日のみ1日8本という希少さだ。
 吉野からは、軍畑(いくさばた)大橋で再び多摩川を渡り、軍畑駅方面へ。この先、御嶽駅を経由して反時計周りで吉野へ戻るまでが梅01の独自区間である。車窓からは緑鮮やかな山並みが、眼下には澄んだ川ではしゃぐ子どもたちや、ラフティングボート(6~8人乗りのゴムボート)で川下りに興じる人々が確認できた。
 軍畑大橋を渡りきり、道路沿いの電光掲示板に「水源を大切に」の文字を見た時、私が乗車しているのは本当に都バスなのだろうか、と不思議な気持ちになった。軍畑駅入口を過ぎ、沢井駅入口を経由して御嶽駅に到着する前に「御嶽山ケーブルカー行きのバスはこちらでお乗り換えです」と、自動アナウンスが流れた。他社のバスの乗り換え案内は都心のバスではなかなかみられないので新鮮だ。私は、御嶽駅の次の停留所、玉堂美術館で降車した。
 玉堂美術館は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家・川合玉堂の美術館である。戦時中に西多摩郡三田村(現在の青梅市)に疎開し、昭和32年に亡くなるまで定住した玉堂。彼のアトリエ「随軒」を訪れた日本画家・奥田元宋と宗教の話になった時、「私は大自然宗です」と答えたという話が、著書『多摩の草屋』に残っている。戦後も疎開先に留まるほど青梅の自然を愛し、情緒あふれる筆致で描き残した玉堂の美術館は、香淳皇后(昭和天皇の皇后)や全国のファンらの寄付により設立された。
 実は梅01系統に乗車する口実で初めて訪れたのだが、年に7回ほど展示替えをするそうで、また再訪したい。玉堂作品の魅力を伝えるには文字数が足りないが、個人的には、自然の風景に溶け込む釣り人の作品群に魅了された。なお玉堂自身は釣りをしなかったそうである。 

都政新報(2020年10月2日号) 都政新報社の許可を得て転載
【参考資料】
・多摩の草屋 俳歌集(川合玉堂 美術年鑑社 1996)