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昭和の風を吹かす場所

<操る男>名古屋栄三越(オリエンタルビル)の屋上にある小さな観覧車を操作する職員。国内に現存する日本最古の屋上観覧車である。

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 屋上。それも百貨店の屋上という存在に、なぜか心引かれる。
 幼少の頃、親に連れられてヒーローショーを見に行ったり、コインで稼働する遊具を楽しんだ記憶があるからかもしれない。「遊び」自体はもとより、私はその場で感じる「風」が好きだったのだろうと、大人になった今にして思う。 
 本来ならば密閉されている空間上を(屋上なのだから当然だが)、季節の匂いに触れながら堂々と歩ける開放感。時には信じられないような強さのビル風に見舞われる非日常性。
 インターネットの海を泳ぐと、屋上風景を集めた写真集やフリーペーパー、さらには屋上にこだわりを持つホームページが数多く公開されている現状を知ることが出来る。どうやら屋上ファンは少数派というわけではなさそうである。
 名古屋市栄区の百貨店に登録有形文化財の観覧車があるという話を知り、ふと足を運んでみたくなった。現存する屋上観覧車としては日本最古のものだという。私の幼少期の屋上記憶の中に観覧車は登場しないが、トロッコのようなむき出しのゴンドラの写真を見て「風」の匂いを感じ取り、胸騒ぎを覚えたのだ。その観覧車は遊戯施設としての役目を既に終え、現在では乗ることは出来ないものの、毎週日曜日の正午と午後3時に各2回転ずつ稼働させるとのこと。それならば、動いている姿をぜひとも見たい。
 屋上に降り立ち、観覧車を探す。ミニ機関車や自動車型の遊具付近を抜け、百貨店のシンボル的な大看板の近くに、それはあった。
 午後3時。どこからともなく係員が登場し、淡々と制御盤を操作すると、きしむような「カカカカ、カカカカ」という音とともに、ゆっくりと動き始めた。赤地に黄・黄色地に緑・緑地に赤が3基ずつ、合計9基のゴンドラ。落下防止用の柵はあるが、窓はない。もちろんクーラーもない。 
 営業運転をしていた当時は、心地良い風を浴びながら遊覧できたのではなかろうか(冬は寒いと思うが)。ゴンドラを支える鉄骨は白色。有彩色と無彩色との対比が美しい。回転を始めたゴンドラから目をそらし、辺りを見渡すと、観客は私一人。途中で2人ほど増えたが、にぎわいという言葉とは程遠い、よく言えば牧歌的な状況であった。  
 かつて大勢の人々の笑顔を運んだであろう観覧車。その直径の内側では昭和時代の時間と風が流れ、回転により攪拌(かくはん)され、平成時代の空に優しく混ざり合っていく……という空想をしてみたりした。
 予定通り2回転を終えて淡々と制御盤を操作する係員、忠実に停止するゴンドラ。私は二者に敬意を込めて一礼し、その場を後にした。
 唐突だが、『おとぎ話みたい』という映画作品の中に、次のような独白がある。
 「どうしようと思った時には心はいつもどうしようもなく、足りないと思うということはかつて満ち足りていたものがあったという証左に他ならないのだが、いつも不在だけがその人の輪郭をかたどるように、今私が手にしているものなど何もない」
 この映画自体には観覧車は全く登場しない。しかしながら、栄の百貨店の屋上で可愛くて古いゴンドラと向き合った瞬間、私の脳裏にすぐさま浮かんだのは、この語りであった。
 乗りたいと思った時には既に文化財に指定され、どうあがいても乗ることの出来ない存在になっているのだが、観客が少なければ少ないで、かつてこの観覧車が栄えていた黄金時代を強く際立たせてしまう。
 つまり、これまで数十年にもわたって活躍をしてきた存在が、今では誰も乗せずに週に2回だけひっそりと動いているさまは、まるで「おとぎ話」のようであるなと、そんなことを感じたわけである。
 ちなみに、『おとぎ話みたい』という映画では、屋上が効果的に使われる場面がいくつか出てくる。百貨店ではなく学校の校舎だが。要するに、屋上の風景は絵になるという事実を再確認できるのだ。

※都政新報(2015年7月3日号) 都政新報社の許可を得て転載

観覧車のあるオリエンタルビルは、再開発のため取り壊される見込みとなっているようです。新しいビルは2029年に完成予定とのことですが、登録有形文化財である観覧車の処遇が今後どのようになるのか、気になるところです。