巣鴨のアイドル
「はなちゃん」と人々が呼ぶ白黒猫。赤い首輪と名札をつけているが、ノラである。とげぬき地蔵で有名な巣鴨の町の、とげぬき地蔵からは離れた駅北口界隈が、はなの居場所。昼間は飲食店の電飾看板を日よけにして一抹の警戒心もない寝姿を披露していることが多いが、路肩に置かれたブロックを枕として利用したり、美容室入り口ドアの前で堂々と休んでいることもある。とにかくたいてい眠っている。
しかし夜になると、はなは光まばゆい飲食店の店内に向けて熱い視線を送るのだ。店員が根負けして食料を提供するのを待つという魂胆なのだろう。日替わりで別の店を「巡回」することもある。これぞ処世術。
ある時、昼寝中のはなに携帯電話のカメラを向けていたところ、近隣の飲食店のおかみさんといった感じの女性が、勢いよく私に話し掛けてきた。
「この子はね、ノラだけど10年以上も前から巣鴨にいるの。こんな顔だけどお年寄り。近所の人がいろいろと気を遣ってね、餌をやったり、奇麗にしてやったりしてさ。この辺を通る車も分かってて、この子の近くに来たら速度を緩めるよ。でもそのうちこんなふうにダラーンとした格好で野たれ死んじゃうんだろうね。ハハハッ!」
いかにも江戸っ子といった風情の女性は風のように去り、取り残された私は再び、はなに目を向けた。「この世に敵なし」と顔に書いてあるような無防備な格好で、深い眠りについていた。やれやれ。先ほどの女性は歯に衣を着せない物言いではあるが、本当は誰よりもはなを愛し、長寿を願っているのかもしれないなと、ふと思った。
ノラながら悲壮感はなく、どこかユーモラスでかつ堂々としたたたずまいが気になり、調べると、はなは巣鴨では有名な地域猫なのであった。定位置にいて、愛嬌(あいきょう)があるわけではないが人が近づいても逃げない。日中は子供たちからなでられ、観光客から写真を撮られ、夜は酔っ払いの愚痴に耳を傾ける(ふりをする)。好かれるわけである。あるブログには、巣鴨のアイドルと書かれてあった。近隣の人々が世話をしているからこそ、泰然自若としていられるのだ。そしてその落ち着きぶりに癒される人々がいるという循環が生まれる。
唐突だが、路線バスの仕事は早朝5時台から始まることもあるし、午後11時過ぎに終わる場合もある。全ては担当ダイヤ次第。そんな不規則勤務のモチベーションを保つ上で、私にとってはなの存在は絶大であった。日の出前の時間帯にも、日付が変わろうとする夜更けにも、毎日というわけではないけれど、駅から営業所まで歩く道のりでの「はな遭遇率」は高く、会うたびに励ましやねぎらいの言葉をかけてもらっているような錯覚を覚え、元気づけられている自分がいた。私以外にもそのような人は多かったのではないだろうか。
6月某日、はなが消えた。いつもの場所には、体調を崩したはなを近隣の方が入院させたという張り紙。そして治療を受けて数日後、はなはケロッとした顔で再び路上にあらわれた。はなファンは胸をなで下ろしたことだろう。
しかし復帰して2週間後、はなは永遠の旅立ちをしてしまうのである。二度にわたりはなを保護した方は、いわゆる地域猫を動物病院へ連れていくことで発生する諸問題について葛藤をされていた様子。ご本人には直接言えないが、思いやりにあふれた行動であったことには間違いなく、一ファンとして心から感謝したい。このことは、はなを最後に治療した動物病院の副院長のブログで知った。
はなは死んだ。が、人々を和ませた地域猫の思い出は消えない。おばあちゃんの原宿と呼ばれ、お年寄りに優しい地域風土があったからこそ、はなは飼い猫並みの年月を生きられたのかもしれない。はなちゃんと呼ばれているが、実を言うと、はなはオスだった!目を閉じると「驚いた?」とでも言いたげな、はなのしたり顔が走馬灯のようによみがえる。
※都政新報(2012年8月10日号) 都政新報社の許可を得て転載
【はなちゃんのtogetterまとめ】
巣鴨という場所で住民や観光客に可愛がられたはなちゃんは、2012年の6月27日に、約10年の生涯を閉じました。私は猫のはなちゃんについてのエッセイを都政新報に掲載しました。私は巣鴨の住民ではなく、ただの通りすがりの者ですが、はなちゃんのことが大好きでした。生前のはなちゃんとの思い出を、はなちゃんファンの方々や、読者の皆様と共有できたらと思い、はなちゃんに関する私のツイートをまとめました。ご覧いただけたら幸いです。なお、はなちゃんのことを当時は「ぽえ吉」と呼んでおりました。
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