魔法のメガネ
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※某団体向けに2009年に書いた文章です。電車や切符の状況、商品の価格などについては現在とは異なる場合があります。
右目が近視と乱視で、左目が遠視である。しかし視力はさほど悪いわけではなく、仕事をする時だけメガネをかけていればよい。そんなわけで、コンタクトレンズを使用した経験も、ましてやレーシック手術もせず、メガネ一筋で通してきた。金属、プラスチック、ふちなし、有名ブランドと、これまで何度も買い換えてきたが、ある時、ふと思った。「仕事が楽しくなるようなメガネはないだろうか。」と。たとえば、かけ心地が優しく、重量が軽く、年月が経つほどに味わいが出て、かつ、出会った人に強烈な印象を与えるメガネ。実は前々から気になってはいたものの、日本では作られていないと諦めていた素材があった。それは、木でできたメガネである。「木のメガネ」「ウッドフレーム」といったキーワードで、インターネットの海をさまよった。すると、意外なことに、木のメガネを扱っている店舗はすぐに何軒か見つかった。だが、画面に映るサンプル写真を眺めても、心ひかれるデザインのものは少ない。「これは」という商品があっても、自分には到底手の出ない価格設定となっている。「やはり難しいか……。」パソコンの前でたそがれながら、さらに検索を続けたところ、一筋の光が差し込んできた。福井県鯖江市でウッドフレームの工房を開いている職人K氏のホームページにたどり着いたのだ。鯖江市といえば、メガネの一大産地。日本で作られるメガネフレームの実に96%、さらに、地球上で作られているメガネフレームの20%が、メイドイン鯖江だというのだから驚きだ。この、世界でも有数の「メガネの街」に工房を構えるだけあって、K氏のウッドフレームにかける熱い意気込みは、画面越しに十分過ぎるほど伝わってきた。しかしながら、どれほどの金額を支払えば彼の作品(商品というより、もはや作品である)を手に入れることができるのか、ホームページを見る限りでは知ることができなかった。それでも不思議なことに、「買えなくてもいい。とにかく実際の作品に触れてみたい。」という気持ちを抑えることができず、次の瞬間には「実物を拝見したいので、一度工房へお邪魔させていただけませんか。」という内容の電子メールを、K氏に送っていた。ちょうど近日中に金沢へ行く用事があり、少し足を伸ばせば鯖江にも寄ることができる、という心の動きが自分の背中を押したという部分もあるにはあるが、何にせよ、買うかどうかも分からないメガネを見に行くために新幹線と特急を乗り継いで旅をするという経験は、むろん今回が初めてであった。
その日、朝の7時ちょうどに上越新幹線で東京駅を出発し、越後湯沢で特急はくたかに、金沢で特急しらさぎに、さらに福井から普通列車に乗り換えて、目的地である北鯖江駅に到着したのは12時57分。自宅を出てから、のべ7時間の旅であった。(余談だが、東京から北陸方面へは、このルートではなく、東海道新幹線に乗車し、名古屋回りで行く方が断然早い。今回は、「北陸フリーきっぷ」という割引きっぷを利用するために、あえてこのようなルートにしたのだ。)話を戻す。ウッドフレーム職人K氏は、北鯖江駅まで車で迎えに来てくださった。工房までの車中、ウッドフレームの無限の可能性について熱く語るその人の目は、まるで少年のように輝いていた。そして、「見学だけでも大歓迎です。ウッドフレームの素晴らしさを感じていただれば、十分です。」と言っていただけたので、気持ちが軽くなった。なぜなら、今回の旅の目的は工房の見学と作品の試着であるということはあらかじめお伝えしてはいたものの、やはり「メガネを実際に注文するか決めていない」ということには多少の負い目を感じていたからである。ほどなく工房に到着。建物に一歩足を踏み入れると、懐かしいような、心地よい香りがした。「これがスネークウッド。蛇みたいな柄でしょう?」「古い家を建て替える時、いい大黒柱が手に入ることがあって、それでフレームを作ることもあるんです。」職人というイメージからはほど遠い気さくな彼の話は楽しく、かつ自らの仕事の質を高めようと常に創意工夫を重ねている姿勢に感動を覚えた。気になる「お金」の話になり、アパートの家賃1ヶ月分+αで注文できることが分かった。見学だけのつもりだったが、その場で即決。「一生モノ」の作品としては、むしろ安すぎるくらいだと思った。注文したフレームは、南米ウルグアイ産の「パープルハート」という木を使用したもの。紫色をしているが、天然の色である。注文してから約2週間後、作品が到着。以来、毎日着用しているが、ほんのりと木の香りが漂うことで気分が落ち着くのか、このメガネをかけてからというもの、仕事中にイライラすることがほとんどない。不思議なことに、お客様から不条理な苦情を言われることもなくなった。職人が真剣に作った作品であるから、魂が宿っているのかもしれない。まさに「魔法のメガネ」である。