よもやま語らいゼミ開催後記③「人生って疲れない?」
東大生を対象に、毎回テーマを決めて自由に対話をするイベント「よもやま語らいゼミ」。10月21日は「人生って疲れない」をテーマに開催した。このイベントには、運営側と参加者合わせて14名ほどが参加した。集まっていただいた方々に感謝を申し上げる。イベントでは、参加者が2チームに分かれて様々な論点をめぐって活発に話し合った。
1.論点
私たちのチームでは、いくつかの興味深い論点が提出された。
まず、疲れを感じるときは、どのような時か、そしてそれはなぜか、という議論になった。参加者からは、就活や勉強、研究、人間関係で行き詰まったときなどに疲れを感じる、という声が上がった。この中で、就活や研究に関して、一番議論になった。これらは、限られた時間の中で、成果を出すことが要求される。しかも、期待される成果が出るとも限らない。このような時間の有限性と、未来の不確定性の中で、努力を続けなければならないため、私たちは時に疲れを感じるのではないだろうか。
次に、疲れに対して、我々はどのようなスタンスをとるべきか、という点が議論になった。例えば、出世や研究成果といったものに、疲労以上に価値を置いた場合、努力を続けて疲れたとしても 受け入れられるかもしれない。参加者のなかには、疲れるのがわかっていても高い目標を設定して努力をするのがよいという価値観の人もいれば、精神的にも肉体的にも疲れるようなことはあまりしたくはない、という価値観を表明する者もいた。
最後に、どのような心構えでいれば、疲労感を減らすことができるか、という点が議論になった。環境や境遇については自分の意志でコントロールできない要素があり、それらに振り回されることで我々は疲労感を覚える。しかし、その中にあっても、主体的に自分がコントロールできる部分を探すことで、前向きにその時々の状況に対して接することができるのではないか、という指摘があった。一方で、このような心構えは、ブラック企業などの法的にも問題があるような過酷な環境にとどまることも是認しうるのでは、というような危惧も表明された。
2.感想
最後に、一連のイベントを通じて、私が感じたことを記そう。私たちは、生きるため、努力を強いられることがある。大学入試や就活、各種試験が大学生にとってはなじみ深い。このような努力は、結果が不確定で、有限な時間の中で行わなければならない。しかも、スタートラインは、誰しも平等ではない。昨今の教育格差や親ガチャをめぐる論争を見れば明らかだ。このような状況が続けば、誰しも人生って疲れない、などと吐露したくなる。
何かに追われ、深い疲労感に襲われたとき、私は自分をカードゲームのプレイヤーであると思うことにしている。この種のゲームでは、その場の、手持ちのカードで直面している状況をしのがなければならない。どのようなカードが手元にあるのか、それは運でもあり自分の選択でもある。自分の選択がどのような帰結を及ぼすか、この点も運でもあり選択でもある。ただ、カードゲームでは、よく考え、賢く選択することで、運の要素を減らすことができる。そして、そのようなプレイの連続で、自分の未来の手札は作られていくのだ。
我々は、完全に自己決定できる存在でもなければ、完全に運に左右される存在でもない。そして、手札はいつも手元にある。だから、疲労のふちに追い込まれようとも焦ることはないのだ。ゆっくり休んで、回復しよう。適度に回復したら、よく考えて手札を切ろう。次の盤面は、自分で切り開くのだ。手札を切る、流れに身を任せる。
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