弱い自分と向きあいたい
幼い頃から自分の1人称は「私」と言うように親から強制された。小学校で周りが1人称を自分の名前で呼んでいる中でも、私は自分のことを「私」と呼んだ。
本当は人と話すのが好きだった。けれど徐々に臆病な性格へと変化した。この性格は未だに変わっていない。気づけば図書館に通うようになっていて、人と話すより本を読む時間の方が増えていた。小さい頃から大人に囲まれて育ったためか、常に周りの顔色を伺うようになっていた。「私なんか…」が頭の中を支配していた。家族のことが大好きだった。けれど、「普通の家」に生まれたかったこともまた事実だ。
人間関係でもうまくいかなかった。いつもこじれてしまう。だからこそ私は、数少ない友達のことをほんとに大切に想っているし、感謝してもしきれない。しかし、自己肯定感が邪魔をする、卑屈になってしまう。嫌われたくなくて本当の自分をさらけ出すことはまずない、本当は友達とたわいもない話をしたかった、今思えば、暗い青春を送っていた。
私はいつも何かから逃げている。結果が怖いから。私は逃げないと生きていけない、その事実を突きつけられている。暗いトンネルの中を彷徨い歩いているような感覚。臆病で弱虫で容量の悪い自分が大嫌い、でも、私がそんな「私」を受け入れなかったら誰が受け入れるのだろう。なんて考え出すときりがない。気がついたら時計は午前2時をまわっている。
寝る前にぐるぐる考えてたことを整理しようとしてメモしたけれど、書いてみて読み返すとなんてみじめなんだろう、
要するにこんな一般の人からしたらどうでもいいことをああでもない、こうでもない、と日々考えているネガティブ人間も世の中にいるし、今日も一日生きた、私だけかもしれないけれど、同じ心境の人がいたら救われる、