うとQ世話し 新経済のあり方を生物界から得てはいかがでしょう

2021/1/9-3
(うとQ世話し 新経済のあり方を生物界から得てはいかがでしょう)
人間様と地球様がともに和する為の経済指標を考えるに当たって、ある点に着目してみました。
人間は人間である以前に地球上の生物の一種類である。ならば人間界だけを見ていたのでは分らないことも生物界(なかんずく動物界)を見てみれば何かヒントが得られるのではなかろうか?
と。
それで動物を見てみると三つの特徴に気づきました。
第一番目が、必要最低限の獲物しか捕らない
二番目が、無益な殺生はしない。
そして最後が、獲物を捕っても貯め込まない(例外的には少しあります。例えば百舌(もず)の刺し忘れのように)
でした。
之を人間界流に言い直すと
第一番目が、必要最小限生産と消費
二番目が、拡張主義に基づいた戦争はしない。
そうして最後が、過剰蓄財を持たない。
この中で、二番目の話をするとややこしくなるので、一番目と三番目の話を「経済」としてお話してみます。特に最後の三番目について。
人間の「貯め込み」の始まりは狩猟生活に於いて「狩猟した肉の保存」だったと思います。干し肉などです。
次が稲作や麦作等穀物を作る農業での貯め込みです。
それでこれら保存、ストック、貯め込みに共通していると思われる概念が何かと言えば「未来の不慮に対する備え」でしょう。或いは「安定と安全と安心」
ここで重要なのが「人間には他の生物にない時間という概念がある」ということと「その中で未来を想定するという想像力があった」という事、そうして「それに向けて計画立案する企画力」があったことの3点です。
更にこの3つを大雑把にひとくくりの概念にすると、全てが「想像力の産物」であることだと思われます。
では、その想像力とは何か?
一言で言えば「無いもの(或いは未だ無いもの)を思い描く力」
です。
ですので、想像力は「未来を見据えて前進する強力な推進力」にもなる反面「無いものにおびえて「あらず、もがな」の愚行を侵す妄想力」にもなり得るわけです。
端的に申しますと
「過度の不安に怯えて、絶対的安心安全を求めて過度の貯め込みをする」事もあるわけです。
安心安全志向というのは、実は「怯え」の裏返しなのです。失う物が大きいもの達の怯え。
ここで一足飛びに現代に戻って、その心理を経済に当てはめてみると
例えばGAFAにそれを当てはめてみた場合
「もう社員を食わせるには十分な蓄財を得ているにも拘わらず、将来何が起きるか分らないので、枕を高くして寝るためには、もっと備蓄を増やさなくてはならない」と思い始め、それがいつしか「自分が本来得るべき蓄財を奪う奴は、芽が出る前に潰してしまおう」となって、それが最後には先に申し上げました二番目の「無益な殺生の極地」である今後芽が出そうな競合潰しや覇権主義に基づく戦争やらにつながるような気がした次第。
ここは一番、人間界の今後のあり方については、生物界の有り様を見習ってみてはいかがでしょう?

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