うとQ世話し 語学教育真姿「コミュニケーション」修正版
2021/5/15-3
(うとQ世話し 語学教育真姿「コミュニケーション」修正版 )
要するに今の我々年配世代に子や孫に教える「経験や経験則」がないのでしょう。
子や孫はインターネットで知識だけは持っています。
知恵とは「知識X経験」だとすると、年配世代に新しい知識の獲得も今まで培ってきた経験も殆ど無いとすれば、是はもう「恐怖のどん底状態」でしょう。
その恐怖から逃れる為に、矢鱈と体裁だけは繕う。
簡単に言えば虚仮威しの張りぼて状態。で、虚勢を張りまくる。
ところが、反面、子や孫へは、サービス、サービス、も一つオマケに又々サービス。
しかし中身がなければ、それは常に「ご機嫌を損じては一大事」のご機嫌伺い。
それこそそれが「常態化」
更に進めば、兎にも角にも「ご機嫌取り」
「ねっ、笑って、笑って。お願い。あっ、笑った、笑った。あぁ、良かった。笑ってくれた」
一体何なのでしょう?これは。
元を正せば「安心安全、是第一」で「失敗は絶対ダメよ」から始まった「何事も100%の成功保証がなければ、それまで一切、手を出さない」
それから始まった絶対的経験数と経験量の不足が原因。
これでは70年生きようが80年生きようが、子や孫に伝える知恵や経験等在ろうはずがありません。
「失敗を許し、経験として認める大らかさ」を得ない限り、この風潮はまだまだ相当年数、いや相当年代続くでしょう。
我が国国民は「昨今、教育開始年次の繰り上げが決まった学校での英語教育」を幾らしても、教育理念と方法を改めない限り、是まで掛ったのと同じ年代分だけ、使える英語を話すことは出来ないでしょう。
何故なら語学、いや語学の本来の目的である「コミュニケーション」とは、実は失敗の上に成り立ち、失敗無くしては深まらない事柄だからです。
それに則した教育理念と方法に改らためない限り、全ては徒労に帰するでしょう。
教育の目的を「語学習得」から「コミュニケーションの醸成」に変え「語学は数多あるコミュニケーション手段の中の一つに過ぎない。
可成り有効且つ合理的ではあるが、他にもジェスチャーや表情、ハグやイラスト、図表などの手段もあり、他のものを組み合わせ手使うことも出来るはずだ」
という「自発発想に基づく開拓型の語学を優先する」様に位置づけ直した教育方法を見いだすべきだと思うのですが。
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