うとQ世話 何で家だけ違ぅんや?の続き「 説明不足」のエキスパート
2020/12/2-2
(うとQ世話 何で家だけ違ぅんや?の続き「 説明不足」のエキスパート)
どうやら自分は説明不足のエキスパートのようです。
またまた遣らかしてしまいました。
以前も「忍耐」と書いて叩かれました。
その時は、
「種を撒いたら、向こうからやってくる発芽到来の「時機」までお待ちなさいね。焦ってはいけませんよ。その時期が来ない限り、いくらこちらだけが一方的に仕掛けても空回りするだけですから、仕掛けを創ったら、その時期が来て、噛み合って効果が出易くなるまで只管待ちましょうね」
という意味で書いたのですが、
「無理難題を言われっぱなしで、それに耐えろというのか」
つまり「忍従」と間違われてしまったわけです。
今回は
「苦労は買ってでもしろ」
と書いたのが、またまた異なった印象をあたえてしまったようです。
これも又、親や雇用者が子や雇用人に「忍従を求め、それを正当化する便法」と誤解されてしまった様です。
なので、自分が申上げたかった事を、今一度改めて書き直しますと、
「苦労」を「経験」という語に置き換えると分かり易いかもしれません。
「経験は買ってでもしろ」
次に
「甘い経験(うまく行った経験)はあまり役に立たないので、成る丈苦い経験(うまく行かなかった経験)を積んだ方がいいですよ。切り抜けるためやそれを咀嚼昇華するためにいろんなノウハウが手に入るので、後で役立ちますからね」
これを連立方程式風に書き合わせると
「苦い経験(=苦労)は買ってでもしろ」
という事になります。
今回はこの連立方程式を書くのを忘れて、いきなりドッカンと「苦労は買ってでもしろ」
と書いてしまったので、またまたご不興を買ってしまった様です。
どうも、自分は「自分だけがわかっている」だけでしかない事に気づかず書いてしまうことが多いようです。
なので、自分は「説明不足のエキスパート」
いやいや「自己満足のエキスパート」
も一つおまけに
「只我独合点のエキスパート」
らしいようでございます。