(うときゅういっきの「これからは」どっちでもいい又はどちらもあり得る)
2022/1/13
(うときゅういっきの「これからは」どっちでもいい又はどちらもあり得る)
最近
「どっちでもいいかな」
と思う様になってきました。
「どうでもいい」ではなくて「どっちでもいい」
「どっちに転んでもそれはそれなりに遣り様がある」
という意味です。
例えばうまくいったら行ったなりに失敗したら失敗したなりに遣り様がある。
Yesと答えられたらYesと答えられたなりにNoと拒否されたらNoと拒否されたなりに答え様も攻め様もある。
どちらか一つと言われる世界では良く言えばfocusing「的を絞り込む」ですが悪く言えば選択肢がどんどん狭まっていく事にもなります。
ですが、どちらもこれあり、両方とり得る、どっちに転んでも遣り様有りとなれば、選択肢が等比級数的(ある意味ネズミ算的)に拡大して「末広がり」の「三方良し」で「袖すりあうも他生の縁」とばかりに「投網を大きく打って」「袖すりあうが如き小機も太機に変えられる可能性(チャンス)」の世界に船出する事もできる。
転んでよし。立ってよし。歩いてよし、の座ってもよし。
騙されてよし、の騙されずともよし。嫌われてよし、で嫌われずともよし。
いずれ目の前に偶然現出した到来物を有難く頂戴する。
その「有難き(有り得ぬ)偶然」を活かして前に進む。進むのは是又「行ける処迄でよし」とする。
(ここでいう偶然とは「天地運行の計らい」「誰の都合でもない物事の自律的メカニズム」の事なのですが、そんな難しい事を言っても仕方がないので、天地運行の計らいとそのスケールは、到底人智とその計らい事等では及ばぬものであろうから我々は只それを「偶然の現出(産物)」と呼べばよかろうと)
そう思うとかなり、相当気が楽になって参りました。
最近、ご難、失敗、不運の連続で曰く言い難く凹んでいたものですから。
兎に角世の中「一寸先は闇」であると同時に「明日は何が起こるか分らない」し「明日は明日の風が吹く」のであれば、今後行うマーケティング手法においてもclosingはともかく、少なくともfront endの部分だけでも今流行のターゲットをfocusing「絞り込む」手法は暫くやめ、極めて脳天気に「天網恢恢疎にして漏らさずの投網」を大きく打ってみようかな?
と思い始めております
何故この様な気分になったか申しますと私事で申し訳ないのですが以前自分が書いた記事の中で
「天は我々が望んでいる(思い描いて待っている)形ではそれをお示しにならず、我々が想いもよらぬ全く違った形で示されることが多い様だ。天はその際形を変えたそれを密かに示され我々気づくかどうかお試しになられている様な気がする」
と書いた思いが最近とみに増してきたからでございました。
注)
上記「天網恢恢疎にして漏らさず」の原義は天の広げた網は一見粗く見えるが実は寸分の「悪事をも逃さない」が妥当なようですが、ここでは、譬え小さなきっかけであっても「(チャンスのトリガーとしての)良事を逃す事はない」に置き換えて使っております。
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