うとQ世話し「暮らす」という言葉を紐解いてみる

2021/3/19-2
(うとQ世話し「暮らす」という言葉を紐解いてみる)
家でたまたまチラシをみていたら、ある食品会社のチラシの中にあった英語のキャッチフレーズで
「eat well, live well」
というのが目に留まりました。
和訳すれば
「よく食べ、よく生きる(生活する)」
という事なのでしょうが「よく食べる」は兎も角も「よく生きる」とか「よく生活する」では何となく重たいし、語呂も悪いので「よく(=元気に)暮らす」に置換えてみました。
そうすると何となく落ち着きました。
で、なんで落ち着いたのだろうと考えてみたところ「語呂合わせの良さ」や「暮らす」の「音感の柔らかさ」以外に、もう一つ、別の何かがある事に思い当たりました。
それは「暮らし」の中で使われている漢字の「暮」からの連想で
「日暮れ」
でした。
どのようなイメージを連想したのかと申しますと
「もう夕暮れかぁ。お日様が沈むなぁ。今日も一日よく働いた(子供なら、遊んだ)。家に帰ったら、ゆっくりお風呂につかって、皆でご飯を食べて、その後(大人なら場合によって、ちょっと一杯引っかけてから)布団に入ってぐっすり寝よう」
という様に、頭と身体を十分に使い、心が満たされた張りのある日々が続く状態こそが「暮らす」の意味する処ではなかろうか?と。
単に息をして「生きているだけ」では勿論ダメだし「生活費、生活費」とお金や実入りにばかり目が行く「生活」でもダメで、やはり
「健康で文化的な生活」は「心身共に健やかで、心身共に張りのある暮らし」でないといけないのではなかろうか?という意味で「暮らす」という言葉を使ったのかなぁ?と。
それでふと、この、我が国憲法で記されている文言が、文明に押し流されすぎて空洞化、形骸化してしまった事によって、虚仮(こけ=仮でうつろな姿)にされ風化したまま、忘れ去られてしまっているのではなかろうか?と言う思いに駆られた本日丑三(うしみつ)時の出来事でございました。
今一度「暮らし」を「暮らす」その「暮らし向き」を考えてみるのも大切なことのような気が致しました。
余談)
「暮」という漢字は「くさかんむり」の下に、横棒線を挟んで日が二つあります。
これは自分の想像では、草野原の向こうに、上の字の「日」が水平線下に沈み、下の「日」になって隠れるという様を表した物ではないのかな?と勝手な想像をしております。
お粗末。

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