うとQ世話し「格差」という言葉を読み替えてみると

2021/2/26
(うとQ世話し「格差」という言葉を読み替えてみると)
格差というのは、何も経済の話ばかりではないような気がします。
「格差」という言葉を「断絶」「疎外」「排他」「敵対」と読み替えると、詰まり格差が生み出す結果に置換えると、少しはイメージしやすくなるかもしれません。
そういった目で辺りを見回してみると、日常的な行動の中に、それらの断片が散見されることに気づかされます。
例えば
仲間内に対しては異常なまでの気の使いよう。
その褒め言葉や過剰な感謝の言葉を耳にしていると、殆ど
「隷従隷属」「下僕(しもべ)」「奴隷」もっと言うと「魂まで売り渡してしまった」かのようにさえ聞こえることがあります。
ところが、仲間内以外、例えば見知らぬ通行人に対しては「恐らく利害の内、その中の最重点項目である「利」を齎すことはないであろう」という憶測だけで「よいしょ」「手もみ」と同じレベルの熱量を一転、手のひらを返したが如くに、正の記号から負の記号に反転させたような「冷視」「無関心」「無愛想」な態度を見せる。
将に「対仲間内 如 菩薩(紳士ジキル博士)、対仲間以外 如 夜叉(冷血漢ハイド氏)」
の二枚看板(double standard)状態。
しかも、その仲間内として認める許容幅は「非常に狭い平均台またはタイトロープ程の幅」で、それを少しでも外すと、途端に相手を「ぞんざい」に扱うか、自分がその相手に属していれば「ぞんざい」な扱いをされる羽目に陥ってしまう様になっているようです。
結果、そう言った極端な「周りへの態度変化」は、まさに「断絶」「疎外」排他」そして「敵対」をうみだす元になっておりませんでしょうか。
或いは、そういった言葉に置換えることが出来るレベルの「格差」となっておりませんでしょうか。
自分のような経済の専門家ではないものにとっては、こちらの「格差」の「K字乖離拡大と相反」の方が、遙かに身近で深刻な問題のように感じるのですが、皆様方はいかがでしょうか?
呼吸器系疾患のある自分はそのせいか、こうした中での生活に、大いなる息苦しさを日々感じるようになっております。
我が国国内、之に類したことは、他にも数多散見されるのですが、我々はお互いにこの「仲間内だけ」という「純化(高純度での均一化)」という美名(美意識)の「不寛容(排他、排斥)をやめ」お互いの段差を今少し縮めて、
もっと、相互寛容で相互往来可能な「大らかさ」を持てないものでしょうか、ねぇ?
というのが、ここしばらくの自分の偽らざる感想と、切なる願いでございます。

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うとQ
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