(うとQ世話し 2/27 発売 新シリーズの新刊本のご案内)
2022/2/27
(うとQ世話し 2/27 発売 新シリーズの新刊本のご案内)
2/24発売を一旦取り下げた「義憤?」の書換版です。
新刊本題名
義憤発?本当はこうなんじゃないの?「思い込みも亡霊ドロンパッ」になれるかもしれない読本
を発刊致します。
新シリーズとなります。
●このシリーズの題名をはじめ「常識の罠」と題しておりましたが途中から「義憤発?本当はこうなんじゃないの?だとしたら「思い込みの亡霊ドロンパッ」になれるかもしれない読本」と改めました。
「常識の罠」という題名は最初からどうも「ジャストではないな」という気がしておりましたが、他の題名を思いつかず見切り発車致しました。
しかし日を追うごとにその違和感はどんどん膨らみ、その間にも様々な題名を考えては消し、消しては書き直しておりました。
「常識の罠」の意図する処は「今当たり前だと言われている事は本当に当たり前なのだろうか?」
「その当たり前だと思っている中にこそ、我々を引っ掛けて現在蔓延していると自分が考えている「元気のなさ」に陥れる罠が巧妙に仕掛けられているのではないか?」
という問い掛けを意図したものでした。
しかし
「どうもそれでは気が収まらない」
「何か如何にも見識ぶっている」
「胸の中にあるマグマはそんな奇麗なものでもない」
ならば
「今、自分の中にはマグマがある」
という本心を素直に題名にした方が余程正直だし、私事で誠に恐縮ですが
「自分のガス抜きにもなる」
しかしそれを
「怒り」や「憤り」とその儘題したのでは「私憤」ともとられかねない。
やはりどこかに「問い掛け」の意図は残したい。
それで「義」の字をつけて
「義憤」
更にその内容は「義」に値するのか?という自問がありましたので「?」を付けて
「義憤?」(=筋の通った憤り?)
と致した次第。
ですがそれでもまだ今一つ違和感が残りました。
それは「義」がいくら「?」を付けたとしても筋の通った憤りに由来した「問い掛け」より筋そっちのけで一方的な「自分の正しさ」の主張と受け取られかねない。
「墳」も「憤り」というより「身勝手な不満解消のブチ当たり」としかとられないのではなかろうかと。
それで「義憤?」としていったん上梓をしたものを急遽発売直前に中止し、
少し長いですが
「義憤発?本当はこうなんじゃないの?だとしたら「思い込みの亡霊ドロンパッ」になれるかもしれない読本」
に。
既発刊の
「うつ病ドロンパッ読本」
に倣ってむしろ実用書扱の方が的確であろうと。
しかし自分は何に対してそんなに「憤って」いるのか?
それについては本書をお読みいただければ幸いです。
●アマゾンのKindle、うときゅういっきコーナーでの取扱
「うときゅういっき」でご検索
●発売日:2/27
●書名:「義憤発?本当はこうなんじゃないの?だとしたら「思い込みの亡霊ドロンパッ」になれるかもしれない読本」
●巻の数:1
●販売場所:アマゾン電子書籍kindle本
●検索方法:うときゅういっき で検索
●定価:500円