(うとQ世話し 好きと得意は因果関係ではありません。独立別系統です)
2022/7/30
(うとQ世話し 好きと得意は因果関係ではありません。独立別系統です)
「好きだから上手くなれる」
「得意だから好き」
いずれにせよ、上の二つは好き→得意
又は得意→好き
と、世間一般ではAの結果Bになるという因果関係で結ばれるのが殆どの様です。
その為、「定理」である筈の順列因果関係に不順列「好きなのにできない」が発生した場合その夢を諦めてしまう場合が結構ある様です。
一方自分の場合、特に中学校の頃ですが
「好きだけど成績は全然ダメ」
というのが殆どでした。英数国理社。
しかし自分の場合は、それ以上に「全然ダメだけど(それらが)好き」でした。
「好き」というより「ものすごく興味がある」
出来ないからと言ってこの「好き」を捨てるのはもったいない気が何処かでしておりました。
逆に「得意だけれどあまり興味がなかった」のが、授業以外ですがダジャレなんかの言葉遊び。
なんか思い付きで言うと一部の人には大変面白がられたのですが、別にどうでもいい気がしてほったらかしておりました。
話は変わりますが
後年になって自分が得た感想は
「自分の得意な事がうまくいき、褒められる」
事より
「好きだけど全然できなかったことができるようになった」
時の方が、その喜びは前者の100倍位大きく感じられるという事です。
中学でダメだった数学が後年経理となって「なぁんだ、加減乗除だけでいいのか」と分かり数字(の裏にあるもの)がだんだん読めるようになった時や
ダメだった英語が「なぁんだ、英語さんの方は、何もidiomを覚えろ!!と言っていた訳じゃなくて自分なりにその場の状況に合わせてどんどん新語を作り出しても一向に構わないよと言っていただけなんだ」と分かった時
同じくダメだった理科が「要するにwhyとwhatとhowをしつこく続けていればいいだけなんだ」
と分かった時の様に、ある事に気が付いて(好きだと自然と何かしらに気づく傾向がある様です)それなりに成果が出始めた時、つまり好きだけど不得手で、好きだからこそ不得手である事と向き合いたくない心理から無意識に「逃げたり、迂回したり、避けて通っていた」鬼門エリアを特段意識せずに済む安堵感。
丁度「踏んだら命を落としてしまう地雷原が一気に縮小又は消滅した」様な感じの。
或いはそれが元となって新たに獲得した領域の広がりや選択肢、持ち駒の増加による自由度アップ、行動制限の緩和が与えてくれた拡大感。
等を味わう事が出来ました。
以上の事柄を僭越ながら自分なりに整理してみますと
「好きな事と得意な事は必ずしも同じではない(因果関係にはない)」
「得意かどうかよりも、それが好きかどうかの方が余程重い。好きに拘った方が最終的な結果は良く出る事が多い」
で
「譬え当初不得手でもその「好き」を捨てずに長年続けて、その後に「ある解を見つけた時」の喜びは、得意な事で上手くいった時の喜びの比ではない」
というのが是迄68年間生きてきた自分の実感で御座います。
よろしければサポートをお願い申し上げます。戴いたサポートは自分が書く上での活動費として使わせていただきます。