うとQ世話し これからは「新 切り分け法」で

2021/3/1
(うとQ世話し これからは「新 切り分け法」で )
結構大変な事があり、話を聞いて貰おうとすると
「自分ばかり大変な顔をしないでよ。私の方がもっと大変なんだから」
という答えが返ってきました。
一回目も、二回目も、何回そんな事態があって、話を聞いて貰おうとしても、まるで訊いて貰えませんでした。
この話は、そんなことも一つの原因となって既に分かれた、元奥さんとの話です。
しかし、その折り、之は元奥さん特有の話なのだと思っていましたが、そうではありませんでした。
年代を問わず既婚女性に於いて、なかんずく60歳代以上の既婚女性においては顕著に、同じような反応示すことが分ってき来たのです。
一方、若い独身の女性はというと、余りそうした傾向は見られませんでしたが、積極的に耳を傾けると云うこともありませんでした。
ところが、外国の女性となると、既婚未婚を問わず
「へぇ~。大変だったのねぇ。で、その話、その先どうなったの?ねっ、聞かせて、聞かせて、聞きたいわ」
と、大いに関心を示してくれたのです。
そんな訳で、言葉は同国人女性と話すのに比べて、遙かに不自由でありながら、ジェスチャーや表情、イラストや図表を使う工夫を覚え、話を聞いて貰い、随分とカタルシス(溜飲を下げる思い)を得る事が出来ました。
そうした経験から、近親者であるか否か、或いは同国人で同言語を話すか否かより話を聞きたがるか否か、という切り口の方が遙かに大切で、有用だなぁと認識が変わってきました。
云ってみれば、今まで上下の区分けを横に切っていたのを、縦に切って左右に区分けした方が良いのかもしれないといった切り替えです。
そうした経験から、認識切り替えの適用対象範囲を拡げてみると、例えば、位が上か下か、又は男か女か、さらには同国人であるか外国人であるのか、という区分けには余り意味が無くて、ただただ接する度の一例毎に「まともであるか、そうじゃないか」(人のこと「も」考えられるか、自分の事「しか」考えられないか)を見分けていった方が、すっきりと分かり易いなぁと思うようになりました。
高位の中にも変な人も居れば、女性に中にも立派な人も居る。同国人の中にもおかしな人も居れば、外国人の中にも素晴らしい人も居る。
一回一回、一人一人につき手間暇は掛りますが、その人の属性(肩書きやクラスター要素)を一旦可能な限り取り去って面と向かい合って見極めた方が良いコミュニケーションが出来、それが齎すものの中に、遙かに良い結果が埋まっている。
そういったことが最近分って参りました。
長いこと生きている割には、かなり遅い時期の発見でしたが、未だ幾分余命がありそうなので、この切り分け法で、これからの人生に臨んでみようと思っておりまする。

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