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(オマケの英語教室 super, hyper, ultra)

2022/7/11-2
(オマケの英語教室 super, hyper, ultra)
ある外国人さんが自分に耳打ちしたそうでした。
「なんで日本人は我々English speakerすら知らないような難しい単語を使って我々すらも聞いたことのないような変な英訳をするんだ?」
と。
我が国の子供が大人に尋ねます。
「スーパーマーケットより大きいスーパーマーケットってなんて言うの?」
大人が答えます。
「ハイパーマーケット。スーパーの上がハイパー」
「じゃぁ、スーパーマンより強いのは何ていうの?」
「ウルトラマン。スーパーよりハイパーより上なのをウルトラというんだ」
かくしてわが国では日本語「一」に対して英語(外国語)が必ず同数存在するはずだという「一対一」信奉癖のおかげで無理やりにでもそれに匹敵する英訳を編み出し、且つそれをcase by caseに合わせての柔軟運用をせずに固定訳化させてしまうために冒頭のような感想が出てくるのではなかろうかと思っております。
因みに外国人さんにsuper以外にhyperやultraという単語を使って話をしたところ、hi-per位までは何とか知っていたものの、我が国では極めてポピュラーなultraという単語に関しては十人中九人迄がその言葉を知りませんでした。
外国ではあまり細かく分けていないようで、hyperもultraも大抵はsuperの範疇(範囲)内で済ませているようです。
処が我が国では膨大な数の日本語に対して一対一の関係式で必ずそれに該当する英語がある、乃至はなくてはおかしい(バランスが悪く片手落ちだ)という我が国特有の「対称の美学という様式美由来」の「固定観念」が働いて無意識のうちに外国人さえ知らない様な途轍もなくrareな単語を引っ張り出してきたりするわけです。
しかもちょっとした差でも別物扱いしそれにあてがう言葉を生み出してきた過去。
(例えば直近では戦前のカントやヘーゲルに代表されるドイツ観念論哲学のドイツ語の邦訳の際によく見られた現象等)
その果てが、無限に続くのではと思われるほどの言葉の使い方、解釈の仕方に関する途方もないbashing(所謂バッシングの事)を伴う水掛け論の横行。
是ではいつまでたっても柔軟性の極致でフレキシビリティ溢れる英語なんてしゃべれっこないでしょう。
では、どうすれば喋れるようになるのか?
答えは上述の完全なる裏返しにありそうです。
つまり、
①    似たような日本語訳の揃え、その共通概念を見つけ出す。
②    それに合う簡単な基本英単語を覚える
③    その場合英単語の中核となる基本イメージとニュアンスを言語化せずに体感体得する。
④    最後に前置詞、後置詞(形容句、副詞句)の基本イメージやニュアンスを同じく体感体得し
⑤    ③と④を組みあわせて適宜使う
という事になりましょうか。
英→日への翻訳過程で一対多にした。
日→英で一対一の美学に基づいて多対多にしがちなところを、既に日(にち)が多になっているそれを一に集約し、それに対応した英の一と対応させる。
こうすれば英語も話しやすくなって一対一の美学も成立することになりませんでしょうか?


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