うとQ世話し 火事場のsuper man力をも超える?
2020/12/7
(うとQ世話し 火事場のsuper man力をも超える?)
昨日は、自分と手前どもに起きた、或いは起きつつあります「不幸のデパート 商品陳列強化月間」のようなお話を申し上げましたが、その件につきまして、今少し補足を。
要するに人間、追いつめられると「窮鼠かえって猫を噛む」ではありませんが、ある意味開き直ったり、ヤケクソになったり、捨て身になると、とんでもない力を出すことが、ままあるようです。
例えば、それこそ譬えに使われる「火事場の馬鹿力」
運悪く車の下敷きになった孫を救い出そうと、咄嗟にじいさんが重たい車を持ち揚げてひっくり返したという話を昔、聞いたことがあります。
或いはまた、アフリカの草原で、日頃はライオンの餌食になっているインパルスの母親が、子を助けようと、これまた咄嗟に自らを的にしてライオンの目をそらし、子を守るといったような陽動作戦をも考えつかせる場合もあるようです。
これらはまさに、日頃は弱き「一寸の虫」が突如「五分の魂」を発揮して、ただでさえ力のある「火事場の大魔神」か「火事場のウルトラマン」はたまた「火事場のsuperman, batman, spiderman」をも凌駕するかの如き、信じられぬ事態を巻き起こす事の好例でしょう。
確かに「窮すれば貪(どん)す(自作諺)」場合もありますが「窮すれば通ず」場合もなくはありません。
こうしたたまに起こる事例こそが、人知(自覚上の能力)を超えた「生物としての人目人科」の潜在パワーの発揮による摩訶不思議の成就のような気が致します。
「本当の力を発揮したければ、昔を思い出して、見るのもおぞましかろうが、今一度、最悪最低の地獄の底まで行ってこいや。それが追い詰められたお前に残された、反転攻勢の為の、唯一無二の、最後最後の奥の手やで」
そんな事を言われている様な気がするよ、
と自らを納得(ほとんど自己暗示)させるに必死の昨今でございます。
余談)
暫く前の記事で用いた連立方程式(又は式の代入法)を使えば
「地獄行の切符を一刻も早く手に入れろ」
の「地獄行の切符」を「苦労」に置き換えると
「苦労は一刻も早くしろ」
更には
「苦労は買ってでもしろ」
と、その折話題にした「苦労は買ってでもしろ」に連立方程式の逆分解で溯上する事ができました。
余談2)
上記の諺の元は「若い時の苦労は買ってでもしろ」なのですが、何でわざわざ「若い時」なんて付けたのでしょう?いらない気がしますけど。だって「若い時」に限ったことではないでしょうに。