うとQ世話し 続々続 脳進化から見た人類の曲がり角
2021/3/3
(うとQ世話し 続々続 脳進化から見た人類の曲がり角)
前回の記事で
人間の脳の進化が止まる1万年前以前の二大発明である「道具」と「概念」を「色と欲」に置き換える試みをするにあたり
「自分でも何が言いたいのかよく分らない部分がありますが、ご容赦を」
と書いて、書き始めたのでしたが、案の定
「色と欲」って「女とお金」と言うことじゃないの?」
とか
「色は異性を差しているのは分りますが、欲って何の事ですか?概念(貨幣システムとか国家とか)?」
とか、とか、とかの大混乱。
そこで今一度reset致しましょう。
正しく書けば「異性(人)と概念(人そのもの以外)」
ですが、そう書くと何だか面白くもおかしくもない無味乾燥な表現になる気がして、ついつい「色と欲」という、馴染みの言葉を使ってしまいました。
相済みません。
そこで改めて言いたい事をご理解戴く為に、次の様な視点を考えました。
曰く
「動物との比較で見てみる」
です。
蛇足ですが与謝野晶子の
「柔肌の熱き血潮に触れもみで、寂しからずや、道を説く君」
というのを頭の隅っこに置いておくと以降の話が、より実感が出来るかもしれません。
では始めます。
人も動物、というか生物の一種属です。
この点では、我々ひとも牛や犬猫同様に「柔肌の熱き血潮」を「感じ」ますし「触れる」事も致します。
しかし動物は火を使いませんし、一部の霊長類を除いて道具も全く使いません。抽象思考も致しませんから「概念」というものを持ち得ません。
当然動物の世界では「お金」もありませんし、群れや恐怖心はありますが「国家」や「宗教」もありません。
それらは人間だけが持ち、人間だけが理解し価値を見いだすものです。
そうしてそれがいつの間にか膨大なものになってしまった。
と同時に「いかにも人間的」である、そちらの方に価値比重が移れば移るほど、動物と共有していた感覚や世界が「粗野で野卑なもの」としてないがしろにされる様になってきた。
話は変わって人間世界の中で嫌われる思潮があります。
「選民思想」の中の「選民、選ばれし民」という視点です。
もっと現代風に言えば
「勝ち組と負け組」
という線引き思考といっても良いかもしれません。
自分は非選民ですし、負け組所属なので、あからさまにそんな事を言う奴がいたら蹴っ飛ばしてやりたくなります。
ですが、我々人間は知らず知らずの内に他の生き物や環境に対して、この選民ならぬ「選種属思想」に染まりきった蛮行をしていないでしょうか?
「我々は生物界の長である。全ての生物は我々の為にある。だから我々の決断、選択、価値観に従え。益虫はよし。害虫はダメ。そう言う事だ。分ったな」
という様になっていないでしょうか?
だとするなら、先の記事の1万年後の第三の大発明の前に、脳進化が止まる前の二大発明
のその後の有り様を今一度真摯に総点検してみる必要がありそうです。
否、それ抜きでは第三の大発明等、結果ちゃちなものになりそうですから。