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(オマケの英語教室 count)

2022/6/26-2
(オマケの英語教室 count)
You are countable
と言えば
「お前は充てになる=お前は数えることができる奴だ=頭数に入れられる」
でしょう。
We can count you
でもいいかもしれません。
反対に
You are no countable乃至はwe never can count youとなれば
「充てにならん。員数外だ」
という意味でしょう。
此処でのcountの訳は言わずもがなの「数える」です。
大みそか恒例の新年迄残りあと何秒という時のcount downという言葉でもおなじみでしょう。
処でこのcountの派生語でcounterという言葉があります。
バーやラーメン屋さんでお馴染みの、邦語で「止まり木」の事です。
では何故止まり木を表すのに英語ではcount(er)を用いるのか?
思うに店の人から距離が離れたボックス席に比べて目の前の距離なので
「数がすぐに数えられる距離のお客さんの席」
というところから生まれたのではなかろうか?と推測しております。
もう少し短く申せば
「相対のお客さんの席」
では、更に同じcounterでもボクシングのcounter punchに何故count(er)が用いられるのか?
是に直上の訳の「相対」を当てはめてみますと「相対の拳」となります。
しかしこれではボクシング特有の緊張した場面で用いるには、些か役不足の感が否めません。
ではこうするとどうでしょう?
曰く
「出会いがしらの拳」
少しは臨場感が出てきた様な感じがしませんでしょうか?
それでは再度翻ってcountの原義とは一体何なのでしょうか?
「数える」「相対の」「出会いがしらの」
はてさて?
話は変わりますがcountの接頭辞のcoは「共に」を表します。
Cooperation(共同運営)co-having(共有)communication(交流)
要するにまず「相手がいる」という事です。
-untは何の事だかさっぱり分かりません。
それでは話を元に戻して
では、countの原義となんぞや?
思うに
「出会いがしら初対面の相手に対してまず咄嗟に行う自己防衛本能的な行為」
の事で頭数を数えるというより
「目の前のこの人は自分にとって有用なのか否か?」
もっと言えば
「敵なのか敵ではないのか?を判断する行為」
の事をcountと言い始めたのではなかろうかと思いました。
英語の発祥の地は多民族国家乃至は隣接に他民族が多くいるところだったとすれば
「目の前に突如現れた未知の他民族に対してまずはこのように身構えたであろうこと」は想像に難くないからです。
ですが、これは自分の推測。
さて真偽やいかに?

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