ICTと高等教育
大型計算機からバーチャルリアリティまで
時代とともに変わるICTを教育に生かす
情報教育を支える教育用計算機システム
現在の東大では、教養学部の1年生全員(約3000人)が「情報」を履修します。この科目では、情報の技術面だけでなく、その人間的および社会的な側面を正しく理解することを目的として講義と演習が行われます。東大生は、ここで基本的な素養を身につけた後、専門分野に応じて、プログラミング、統計分析、シミュレーションなどの演習を受けるのです。
教育用計算機システム(ECCS)は「情報」などの教育に使われています。駒場地区キャンパスの情報教育棟には大規模な演習室が複数あり、macOS と Windows の両方を使える ECCS端末(iMac、Mac mini)が全部で約750台配置されています。これらの端末では、Microsoft Officeやウェブブラウザなどの一般的なアプリケーションの他に、数値解析、数式処理、3D CADなどのソフトウェアも使用でき、学生は授業以外にも端末を利用しています。
本郷地区キャンパスにある情報基盤センターの演習室にも、駒場より数は少ないですがECCS端末が置かれています。ECCS端末は本郷、駒場、柏の図書館などに設置されている分も合わせて1300台以上あり(一部はchrome box)、多くの学生が利用しています。
始まりはみんなで使う大型計算機
東大に教育用計算機センターが発足したのは1972年のことでした。すでに、研究用の大型計算機センターはありましたが、情報化社会の発展を見据え、「すべての学部のすべての学生に電算機に触れる機会を提供する」という目標のもと、本郷地区キャンパスに新たにセンターが設立されたのです。それ以来、教育用計算機システムは、各時代の教育の目的に応じて、計算機やネットワークなどICTの進歩を踏まえ、学生のニーズも採り入れながら更新されてきました(表)。
最初に導入された計算機は、メインフレームと呼ばれる、1台で部屋を占有するほどの大型計算機でした。多くのユーザが、入出力用端末から専用の回線を通して1台の大型計算機にアクセスし、それぞれに計算を行っていたのです。大型計算機は数年ごとに更新されました。
1987年には駒場に情報教育棟がつくられ、約300台の端末と大型計算機が配置されました。このシステムを利用して教養学部前期課程の学生を対象とした本格的な情報処理教育が始まりました。「この頃は、プログラミングの授業が中心で、大学院生がボランティアでプログラム指導員を務めていました。私も、指導員として活動していました」と田中准教授は当時を振り返ります。
1993年度からは、現在の「情報」という科目の前身である「情報処理」が必修化されました。1995年のシステム更新で大型計算機は廃止され、学生がつくったプログラムなどを実行するUNIX系ワークステーションと、ワープロなどのアプリを実行するパソコンの2本立てシステムとなりました。一方で、工学部LAN、続いて学内LAN(UTNET)とネットワークの整備が進みました。
変わり続けるシステムの要件
1999年には、教育用計算機センター、大型計算機センターと、附属図書館の一部が統合され、情報基盤センターが発足しました。このときに本郷と駒場のシステムも一体化され、新しい教育用計算機システム(ECCS1999)となりました。ECCS1999の計算資源も2本立てでした。
この頃から、学生たちの間では、情報の授業とは別にMicrosoft Officeやメールの利用が増えてきました。そこで2004年のシステム更新(ECCS2004)では、端末としてiMacが導入されました。「macのOSは、UNIXで動くプログラムにも、Microsoft Officeなどのデスクトップアプリにも対応でき、使い勝手がよくなりました。導入台数は全学で約1150台と、当時としては国内最大規模でした」と、田中准教授は語ります。ただし、この端末は個人用のiMacとは違ってハードディスクを使わず(ディスクレス)、サーバに保存されたOSやアプリケーションのイメージをネットワーク経由で使う方式でした。
その後、ECCS2008、ECCS2012、ECCS2016、ECCS2021とシステムが更新される中、端末はずっとiMacが採用されてきました。しかし柴山教授は、「個人向けの機器を数万人が共用する端末として使うのは難しくなってきました。例えば、顔認証や指紋認証が普及していますが、顔や指紋の情報は各機器にセキュアに保存して、外に出さないのが原則です。多人数で共用する多数の端末でこれを実現するのは困難です」と、今後の見直しの可能性を示唆します。
このように、大型計算機から多数のPCへと変化してきた教育用計算機システムですが、最近は、クラウドとBYOD(Bring Your Own Device)も活用しています。ECCS2016では、G Suite(Googleのクラウドサービス、現在はGoogle Workspaceと改称)が導入され、ウェブメール、ドライブ、プログラミング環境などを利用できるようになりました。また、2022年度入学生からBYODが実施され、学生はPCが必携となりました。「東大の学生は、駒場の講義の次の時限に本郷の講義を受けたい場合もありますが、移動に1時間ぐらいかかるため対面では無理です。BYODで一方をオンライン受講できれば、両方の受講が可能になります。ただし、BYODが進めば、大学側で何を用意すべきかも変わるので、今後はそうしたことを考えてシステムを設計しなければなりません」と柴山教授は説明します。
ICTを教育に利用する難しさとは
ICTと教育の関係について、柴山教授は「ICTの発展で劇的に変わったのは、教育コンテンツへのアクセスです。以前は商業ベースの書籍くらいしか流通手段がありませんでしたが、現在ではウェブ上に置けば、誰もが無料でアクセスすることも可能です。世界中の大学が、従来は学内に抱え込んでいた講義や教材を広く配布するようになりました」と指摘します。東大でも、大学総合教育研究センターが2005年からUTokyo OCWと東大TVというサービスを開始し、2013年からはUTokyo MOOCというサービスも加えて、講義映像などを公開しています(詳細はp. 6参照)。
ICTは教育支援サービスにも活用されています。東大では、2003年にLMS(学習管理システム)を導入しました。LMSは、教員は教材の配布などを、学生はレポート提出などをオンラインで行えるシステムです(図、東大のシステムの名称はITC-LMS)。「LMSを利用する科目(コース)の数は2012年度にようやく年間200を超え、その頃から急増して2018年度には2,000を超えました。コロナ禍で授業がオンライン化された2020年度には1万以上となり、現在もほとんど変わっていません」(柴山教授)と、LMSはすっかり定着しました。
さらに現在は、LMSに加えて学生が学習情報を一元的に管理できる環境「UTokyo ONE(UTONE)」の開発を、大学総合教育研究センターが中心となって進めています(詳細はp. 6参照)。
一方で、教育用計算機システムの今後はどうなっていくのでしょうか。柴山教授は「クラウドやBYODの延長で、AI(人工知能)とVR(仮想現実)やAR(拡張現実)も取り込んでいく必要があると思います。AIの教育での利用については、全学的な議論を今後進めていく必要があります。VRについては、バーチャルリアリティ教育研究センターで活躍しておられた雨宮智浩先生に、2023年4月から情報基盤センターに加わっていただきました。VR やメタバースを利用した効果的な教育・学習方法の研究開発を進め、東大の授業への応用でも貢献してくださることを期待しています(詳細はp. 8参照)」と語ります。
しかし、ICTを利用すればうまくいくというほど話は簡単ではありません。柴山教授は、「例えばLMS一つとっても、システムに求めることは、システム開発者、教員、学生、教務系職員の間で異なります。ですから、ICTの導入にあたっては、達成すべき目標をはっきりさせ、『人間系』を含めた全体最適化を図ることが重要なのです」と、効果的なICT利用の難しさを説明します。
特に、東大は組織が大きいこともあって、全学的なシステムの構築は容易ではありません。古くは、2000年頃に学内の部局や研究室がセキュリティの不十分な自前のサーバでメールシステムやウェブページを運用することが増え、情報基盤センターがサーバを貸し出すホスティングサービスを始めたという歴史もあります。「私が着任してからも、各部局がさまざまなシステムを立ち上げ、ログインIDもヘルプデスクも別々ということが起こりがちでした。そこで我々は、ヘルプデスクをワンストップ化する※1などして統一を図ってきたのです。このように部局間の壁を壊し、連携を進めることもICTの活用には欠かせません」と、柴山教授は話を締めくくりました。
(取材・構成 佐藤成美/青山聖子)