「103万円の壁」引き上げの「財源」を求める人たちの気持ちを考える

「103万円の壁」引き上げをめぐり、財源論が続いています。

国民民主党は、「物価上昇率以上に取り過ぎた税金」「予算の使い残し」「税外収入」といった財源を提示していますし、何人かの経済学者・財政学者の皆さんも同様の見解を示されていると承知していますが、いつまでたっても「で、財源は?」と聞かれるわけですね。

前置き:今のところの説明

「物価上昇率以上に取り過ぎた税金」については、「将来の経済状況がどうなるかわからないから、恒久減税の財源には適さない」という意見もありますが、政府・日銀は2%の物価上昇目標を設定して経済政策を進めているわけです。

それでも、物価上昇率と税収の増加率が同じぐらいなら問題ありません。
問題は、2020年から2025年(見通し)で14.0%物価が上昇しているのに対し、税収は21.6%も増えていることです。

物価が上がるペースよりも税収が増えるペースが速いわけですから、税収が増えるペースを落とさなければいけません。

自動車の運転に例えてみる

自動車の運転に例えてみましょう。

高速道路で、周りの車とペースを合わせて走っているとします。そんな中で一台、スピードを出し過ぎて車間距離を詰め、前の車にぶつかりそうになった途端にブレーキを踏み、距離があいたらまた急加速する…という運転をしている車があったとします。「そんなに加速せずに、みんなと同じペースで走ればいいのに」と思えますよね。

この「スピードを出し過ぎて車間距離を詰めてしまう」のが、税金の取り過ぎ。つまり「物価上昇率よりも税収増のペースが速い」今の状態です。そして「ぶつかりそうになったら急ブレーキ」は、「一回限りの減税や給付」です。

こうして想像してみると、「恒久減税をせずに、その時々で一回限りの減税や給付で調整する」というのは、「周りのペースに合わせず、事故が起きそうになったら急ブレーキを踏む運転」と同じだとわかります。

そうではなく、「周りの車とスピードを合わせて走る」…つまり「税率そのものを調整して無理のない税制にする」恒久減税のほうが、スムーズで安全な運転になると僕は思います。

前置きここまで

…と、前置きが長くなりました。
そうはいっても「財源」はどうするのか、という話ですね。
恒久減税だから恒久財源が必要だろう、と考える人たちの気持ちを、少し想像してみたいと思います。

本題:「財源」を求める人の気持ちを考える

おそらく思うに、「財源は?」という人は、「○○費を削ります」または「○○税を増税します」という構文での回答を求めている人も多いのではないかと思います。ほかの表現ではなく、この構文に当てはまる回答を求めている。

なぜそう思うかというと、意外と大勢の人が、「世界公平仮説」という誤謬を持っているからです。

世界公平仮説とは、「良いことがあれば、同じぐらい悪いことがある(または、あらねばならない)」という誤謬です。

この誤謬を多くの人が持っているので、「減税で手取りが増えるという“良いこと”があるなら、同じぐらい”悪いこと”がなければおかしい」という気持ちになるわけです。

そういう人たちに、いくら「大して悪いことはありませんよ」と言ったところで、その人たちが信じる宇宙の法則と違うわけですから、納得してはもらえません。

ですから、言うべきは「心配ありませんよ」ではなく、「こういうデメリットがありますがどうしますか?」なんですね。

だから、「○○費を削ります」とかいった”構文”が求められているのであって、そういう”構文”ではない説明は、気持ちが納得できない人が大勢いるんだと思います。

財源は「国債費」と言えるのではないか

178万円への「壁」引き上げのデメリットは、明確に言えるのは「財政再建のペースが遅くなる」ことでしょう。

このままいけば今年2025年にもプライマリーバランスの黒字化を達成できますが、103万円の壁を178万円に引き上げると、2028年までずれ込みます。3年ほど遅くなる。

今まで、「物価上昇率以上に取り過ぎた税金」や「予算の使い残し」は、主に国債費に充てられていると聞いたことがあります。

もしそうなら、「物価上昇率以上に取り過ぎた税金」や「予算の使い残し」を減税に充てることは、言い換えれば「国債費を削ります」ということになると思います。

国債費は2025年度予算で28.9兆円が計上される見通しとのこと。ここから7.6兆円引いて21.3兆円としても、国債費(国債を返すためのお金)は十分残ります。

(もちろん実際には60年償還ルールという日本独自の取り決めがあるため、国債費を削減するというより、借換債を発行する形になると思いますが…。)

しかしそれでも、財政再建のペースが遅くなるというデメリットは確かにあります。3年ぐらいとの見通しですが、もしかすると、もっと遅くなるかもしれませんよね。

「最低限の生活を守る」ことと「財政再建の遅れ」を天秤にかけて、一人一人が考えてみよう

したがって、「国民の手取りを増やす」「最低限必要な生活費から税金を取らないという原則を守る」ことと、「財政再建のペースが3年~遅くなる」こととを天秤にかけて、一人一人が価値判断をしていくことが必要なのではないでしょうか。

恒久減税への反対を「国債費を減らしたい/増やしたくない」という意図だと考えてみると

恒久減税への反対を、「国債費を減らしたい/増やしたくない」という意図だと考えると、なんとなく納得もできる気がしています。

国債費が増えれば財政の硬直性が高まり…要するに融通が利かない部分が大きくなってしまう。推進したい政策がやりづらくなるので、政府与党も好ましいと思わないのは納得です。

立憲民主党さんに関しても一部理解できるところがあります。立憲さんの政策は「ベーシックサービスの拡充」という特徴がありますが、これを行うためには、むしろ今よりもっと税収が必要になるでしょう。

こうしたそれぞれの立場や政治姿勢、「どういう国を作りたいか」というヴィジョンの違いを考えると、万人が恒久減税を歓迎しないことも当然と僕は思っています。

ただ個人的には…例えるならば、「子どもの食費や教育費を削って住宅ローンの繰り上げ返済にまわすご家庭」みたいなイメージで、必要以上に財政再建のペースを早めすぎることによって国民生活に支障をきたすのは、王道ではなかろうと思うフシもあります。

議論を掘り下げるならば、「国債の60年償還ルール」にまで踏み込むべきでは

ただ、いずれにしても良い機会だとは思います。

この議論が本質的に国債制度に帰結するのだとすれば、では世界で我が国だけが行っている「国債の60年償還ルール」や、「(利払い費だけでなく)国債償還費を歳出に計上する」という国家会計の在り方そのものを見つめなおす、良い機会になるやもしれません。

もしも仮に、こうした「日本独自の財政ルール」が経済政策や財政政策の足かせとなり、世界と足並みをそろえて経済を発展させることを困難にしているのだとすれば、これらの独自ルールの合理性や必要性を再検討し、よりよい形へと変えていくことは必要であろうと思う次第です。