【独自ルポ】うすきひでたけ:『失われた時代』の突破口を探して - 国民民主党・挑戦者たちの分光分析
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国民民主党のマスコット、こくみんうさぎ。
本稿のきっかけをくれたのは、この青い蝶ネクタイが似合う、優しい目をした黄色いうさぎである。
青々と広がる草原。こくみんうさぎと並んで、満面の笑みでスキップするスーツ姿の男性。
この人物こそが、臼木秀剛、その人である。
あまりにも楽しげな様子に、つい気になって、彼のことを調べてしまった。それが、一番最初のきっかけだった。
国民民主党北海道参議院選挙区第1総支部代表。第26回参院選北海道選挙区公認候補予定者。
1981年3月生まれの41歳。
元衆議院議員政策担当秘書。
優しい国を目指して、『新しい社会にアップデート!』
いつも、こくみんうさぎと一緒。
そんな彼のブログを見た時、ある種の直感が走った。
―――この人は、何か面白いものを持っているぞ。それが何なのかはわからないが、しかし、ちょっとだけ覗いてみたい。そんな知的好奇心に駆られて、取材を申し込んだ。
テーマは、失われた30年。
2022年6月11日、臼木秀剛本人に、オンライン・インタビューに応じて頂いた。本稿は、そのインタビューをもとに、ある種の報告文学として再構築したものである。
◆臼木秀剛の見た「失われた30年」と「ロストジェネレーション」
バブル崩壊後、低迷を続ける日本経済。かつて「失われた10年」と呼ばれた時代は、「失われた20年」になり、そして30年にもなろうとしている。
とりわけその影響を「就職難」という形で大きく受けたのが、失われた世代。いわゆるロスジェネ世代だ。1970年代から、1980年代前半に生まれた世代に相当すると言われている。
臼木秀剛は、1981年生まれ。まさにその一員だ。
同世代人として、彼はどんな風景を見てきたのだろうか。
長野県、信州大学。
大学三年の当時を、彼はこう振り返る。
「公務員になるにしろ、民間に行くにしろ、とにかく採用枠が無い。採用人数がゼロとかイチとか、県庁レベルの採用でもそんな話がありました。民間は民間で、今まで10人採用していたところが、5人とか3人とか。」
話を聞きながら、まさに僕も近い世代の一人として、自分自身の就活の頃を思い出していた。確かにそうだった。当時、先輩から言われた言葉を思い出す。「エントリーシートは100枚書け」。そのぐらい、不採用になって当然の時代だった。
「単なる就職難ではない」 - 臼木秀剛の指摘
「就職が難しい時代があった」。
ともすれば、たったそれだけで済まされてしまう、失われた世代。しかし現実には、“単なる就職難ではない”と臼木は指摘する。
それは彼自身が、地域の政治家の秘書として、人々のさまざまな声を受け止める、その対話の中から浮き彫りになった問題意識だ。
「当時から10年15年経って、『単なる就職難じゃない』ということが、徐々にわかってきたんです。社会の経済、社会活動の中で影響が出始めている。」
「たとえば、団塊の世代の人たちが職場から抜け始めた。下の世代の、20代の若手が入ってくる。そうなった時に、『ちょっと待てよ』ってみんな気付き始めた。その世代の人がいない。そこが徐々に社会や経済活動の中で、問題になってきてるんじゃないのか。」
また別の側面として、臼木は、『技術の伝承』という観点からも問題を指摘する。ベテラン世代と若者世代の、コミュニケーションをつなぐ中堅世代がいない。ベテランの技術が、次世代に伝承されない。その世代の人がいない。
「その人たちはどこに行ったのか」 - 社会と距離ができてしまった人々
社会経済活動の中で、ロスジェネ世代がいない。
確かにこの問題は、近年たびたび話題になるテーマの一つだ。
少し古いニュースではあるが、2017年、旭化成の小堀秀毅社長が朝日新聞社のインタビューに答え、「30代後半から40代前半の人員が少ない」「構造改革で採用を極端に減らしたためです」と話し、話題になったこともある。
臼木の語った、『その世代の人がいない』という問題提起も、同じ文脈だろう。しかし、彼の視点はそこだけに留まらない。
彼はこう問題を投げかける。
「その人たちはどこに行ったのか?」
「たとえば、望まない非正規。もしくは、いろんな仕事を押し付けられて、心を病んでしまって、社会からちょっと離れてしまっている。あるいは、就職ができないまま、ずっと家庭にいたり、家庭の仕事を手伝ったりとか。」
「実際に表に数字が出てこないような中で、社会と距離ができてしまっている人が多い。」
これもまた、臼木が人々の声に耳を傾け、そして直面した実態だったという。親世代が口々に言う。『うちの息子も』『うちの娘も』こんな状況なのだ、と。
まさに、失われた世代。しかし、その人々は――我々は――どこかに消え去ったわけではない。現に、僕らはここにいる。
失われていないのに、失われたものとして扱われてしまう。これこそが、問題の本質の一つなのかもしれない。
それでは、この問題に政治はどう応えていくのか。
そして臼木秀剛は、どう応えていくのだろうか。
◆なぜ我々は失われたのか - デジタル化の視点から、90年代の日本を振り返る
問題を解決するためには、その原因から振り返る必要がある。
なぜ我々は失われてしまったのか。臼木の視線は、90年代の日本に向けられる。その時、何が起きたのか。
1990年代初頭にバブルが崩壊し、それまで活況を呈していた日本経済は急激に冷え込んだ。そして、失われた時代が始まる。
一つの時代には、無数の側面が含まれる。一概に語ることはできない。そこで今回は、臼木が自身のブログで少し触れていた、『デジタル化』という切り口から、90年代を振り返ってもらうことにした。
90年代、失われた時代の始まり。
そこに『デジタル化』がどう関わるのか。
臼木秀剛の考えに耳を傾けてみよう。
「1990年代半ばって、一気にコンピューターが広まりましたよね。扱う機器もワープロからパソコンに変わって、ケータイ電話も普及しました。たとえば、Windows95の普及とか。デジタル化が急速に進んだ時代ですよね。」
「デジタルという新しい技術、これを生み出すことも産業だし、それを活用することも産業。では日本はどうだったのか、というと、受け身的にはデジタルを使ってきたのかもしれないけれど―――」
―――積極的に生み出すことも、活用することも、欠けてしまった部分があるのではないか。わずかな沈黙が問題提起を示唆する。
プラスの変化を受け入れたヨーロッパと、マイナスの方向性に進んでしまった日本
急速にデジタル化が進んだ90年代。その時点で既に、ボタンを掛け違えてしまったのではないか。日本とヨーロッパとの対比によって、臼木はその問題の輪郭を描きはじめる。
「ヨーロッパはまず、人を育てましたよね。新たな『デジタル』という産業、これに関わっていく人を育てる。作る人も、使う人もです。新しい技術ですから、まず人材を育成する。」
「そうやって人を育てて、作る人や使える人を増やして、社会全体としてデジタルに対応していく。デジタル化という“プラスの変化”を受け入れる。そういう状況に、事実としてヨーロッパはありました。」
「日本も本来なら、その同じ90年代のタイミングで、同じようにプラスの対応ができれば良かったんでしょうけれど…タイミングが悪かったのか…日本はこれができなかった。」
「その時点でデジタル化を進めたら、一定程度、業務の効率化もはかれるし、人材を育成すれば、次世代の産業って生み出されたはずなのに、できなかったわけです。」
―――デジタル化という時代の変化が、急激に加速した90年代。この新しい波に乗るために、ヨーロッパをはじめ先進諸国は、デジタル人材の育成や活用など、“プラスの変化”を受け入れた。それが可能な状況にあった。
しかし日本は、それができなかった。90年代の日本が歩みを進めてしまったのは-雇用の削減という、マイナスの方向性だった。
「本来なら人を育てるはずのところが、雇用を削減してしまった。低賃金にしてしまえばモチベーションも下がりますし、職能も下がっていきます。下請けの利幅圧縮、コスト削減もそうです。脈々と中小企業に受け継がれてきた技術も、失われてしまったものもあるでしょう。」
「いろんなものが、マイナスの方向に働く時代になってしまった。こういう感覚が、私はあったんですよね。この90年代でひとつ、差がついてしまったんじゃないのか。」
「どこかのタイミングで、日本もプラスの方向、人を育てるとか、新しい技術を活用するとか、そういった前向きな方向に転換できれば良かったのでしょうけれど…。そのキッカケがなかったのか、気付いていなかったのか。過去のことなのでわかりませんが、プラスの方向に転換できなかった。そのことは厳然たる事実だと思います。」
確かに、そうだ。
振り返ってみれば、Windows95の発売が、名前の通り1995年。急速に普及したOS(コンピュータの基本システム)だ。インターネットが普及しはじめた時期でもある。そしてその翌年、1996年から、日本の実質賃金は下がり始めている―――今に至るまで。
新しく登場した「デジタル」という産業に対応するためには、開発も活用も、人材育成が必要だ。そして、そのためには、しっかりと人件費を付ける必要がある。しかし日本は、真逆の道を進んでしまった。人を育てるのではなく、新しい技術に対応するのでもなく、産業を育てるのでもなく、ただ雇用と育成を減らす方向へと。
それが日本経済をさらに縮小させ、「失われた30年」をもたらし、我々を失われた世代に留まらせているものの、ひとつの遠因なのかもしれない。
◆「平成のうちにやっておくべきだった」-世界の潮流、取り残される日本
この状況は、今もなお続いている。
「今になって『デジタル田園都市構想』と言いますよね。でもその段階って、世界はもう通り過ぎているんです。デジタル化はもう済ませていて。その次の段階として、さらにどうするか?っていう。そういう二歩も三歩も先の話として、カーボンニュートラルとかの話が出てきているんですね。」
「世界が少なくとも、西暦2000年頃には”当たり前”にしてきたことを、日本はいまさら『やらなきゃね』って状態です。そういう認識でいると、今起きている色々なものごとを理解しやすいと思います。世界はもう、20年前にすでに歩いてんですよね。そこを。」
「日本も『平成の間にやっておくべきだった』っていう、そういう課題です。」
『できないわけじゃない』はずが、課題を残したコロナ対策
デジタル化の環境整備、人材育成。
さまざまな『平成の間にやっておくべきだった』課題。
それらを置き去りにしてしまったが故に、コロナ禍で一気に問題が噴出したのではないか。臼木はそう分析する。
「たとえば台湾のオードリー・タンさん。デジタルを活用して、いろいろなコロナ対策を実施しました。みんな『素晴らしい』って言ってますし、確かに私も素晴らしいと思っています。けれど、べつに日本だってやろうと思えば、できないことじゃないんですよね。」
「あと、よく言われるのは、コロナ患者の情報をFAXでやり取りするとか、そういった状況です。やっぱりちょっともう―――このままじゃいけないな、って思いはあります。他のいろいろな課題を見ても、デジタル化の環境が整っていれば、クリアできた問題なんじゃないかなって。そういうのは感じたんですよね。できないわけじゃない、はずなんだけれど。」
「やっぱり、人が亡くなっているわけですから。国民の生活、暮らし、雇用、命すらも―――そう思うと、これは本当にクリアしていかないと。政治の重さを、コロナ禍でも感じました。」
90年代、急速に普及するデジタル化への対応を進め、人材育成に力を入れておけば、デジタル環境がもっと整っていたのかもしれない。そして、その環境があれば、今のコロナ禍も、もっと不安なく過ごせたのかもしれない。
コロナ対応だけでなく、もっと社会の、経済の、産業の、福祉の、さまざまな領域で。
そしてこの問題意識が、臼木秀剛が国民民主党を選んだ、大きな理由につながっていく。
コロナ禍を通して見た、国民民主党という選択肢
90年代に何が起きたのか。
なぜ「失われた30年」が今に至り、そして「失われた世代」は今もなお、失われたままなのか。その問題が一気に噴出した、コロナ禍とは。
そうしたテーマを語る中で、やがて話題は国民民主党へと移る。なぜ臼木は、国民民主党を選んだのか。
「コロナ禍になって、各政党が出してくる対策。生活、暮らしを考えて、『この先どういうことが起こり得るか』『必要な政策・制度は何なのか』。逆算して、ちゃんと政策を立てていたのは、やっぱり国民民主党なんですよね。」
「やっぱり問題が起きてから『これはどうしようか』っていう後手後手の対策が多いなかで、国民民主党は『起こり得る可能性』に対する手当、制度、政策を、いち早くタイムリーに打ち出していた。」
「今の国民民主党は、そういう感覚を持っている人が多いと思います。矢田さん(矢田わか子参議)の取り組んだ、コロナ禍での妊婦さんの支援も早かった。タイムリーで、早め早めに対策を打って、さらにその先どうやって繋げていくのか、中長期的なビジョンをちゃんと持っているのが国民民主党。」
『この先どういうことが起こり得るか』
『必要な政策・制度は何なのか』
そのことを、しっかりと考え、タイムリーに政策を打ち出していく。
国民民主党のこの強みは、さまざまな政策領域で発揮されている。
ガソリン価格の高騰対策もそうだ。国民民主党は、昨年の秋にはすでに声を上げていた。
◆「失われた30年」に、政治はどう応えていくのか
1990年代。日進月歩のデジタルの発展と普及に対し、それに対応する“プラスの方向”ではなく、人件費削減などの“マイナスの方向”に進んでしまった。人への投資を怠ってきた。そのことが、失われた世代を生み出し、失われた30年を歩んでしまった、ひとつの遠因なのではないか。
そして、『平成のうちにやっておくべきだった』ことが、なかなか進まず、今、コロナ禍に至って、その問題が噴出しているのではないか。
こうした分析には、僕自身、非常に共感できる。確かにその通りだ、と思わずにはいられない。では、この問題にこれから、政治はどう応えていくのか。応えることができるのか。
そんな問いを、率直に投げかけてみた。
「…ヘスス君(※深作ヘスス候補)ともしゃべったんだけれど、やっぱり感覚は同じだなと思っていて。僕らの世代がやらなきゃいけないよねって。その問題意識って一緒だなって思ったんです。」
僕らの世代。
臼木秀剛、41歳。
深作ヘススと僕は、37歳。
この“僕らの世代”が、やらなきゃいけない。
その思いもまた一致している。
そして続けて、臼木は、同世代人としての率直な思いを語る。
やっぱり『社会に切り捨てられた感』がある - 失われた世代の当事者として
「やっぱり、『社会に切り捨てられた感』があるんですよね。どうしても。それを『しょうがないよね』って思うのも、一つの方法かもしれないけれど。」
「ちょっとしたタイミングで、人生って当然変わり得るんですよね。それが生まれた時期だったかもしれないし、働き方だったかもしれないし。こういった、その時々のタイミングや判断で、すごい大きな、あまりにも大きな落とし穴にハマってしまう恐れがあるんですよね。(うまくいかなかった時の)ツケがめちゃくちゃデカい可能性がありすぎるっていうことを、すごい感じてて。」
「綱渡りの綱が今の社会なんですよね。一歩でも踏み外すと…転落してしまう、というのも違うんですが、なかなか綱の上に戻れなくなる。この、細い綱のようになってしまっている社会を、ここを綱じゃなくて、もっと広いフィールドにしたい。これは政治の世界じゃないと作れないと思うんですよ。」
「綱じゃなくて、もっと広く、なるべく広く、そして、なだらかに裾野を広げていって。たとえばちょっと躓いて、望まない方向に転んでしまっても、すぐ立ち直って戻って来れる、そういう仕組み作りは政治じゃないとできないので。」
確かにそうだった。いや、確かにそうだ。
一歩でも「綱」を踏み外したら、二度と戻ってこれない。小さな躓きだと思った、その転倒から、なかなか起き上がれない。その感覚は今でもある。
今、この記事を書きながら、昔のことを思い出した。
フリーランスになりたての頃、虫垂炎で入院したことがあった。かんたんな手術、入院は一週間だけ。
復帰したとき、みんな驚いた。もう戻って来ないと思ってたよ。口々にそう言われた。その時はなんの違和感もなかった。僕自身、戻ってこれる自信なんてなかった。
今ならわかる。なんてばかばかしい。たった一週間じゃないか。
でも、その“たった一週間の戦線離脱”が、戻って来れない“転落”になってしまう。その感覚が当たり前にあるのも、否めない事実だ。
これをなんとかしたい、変えていきたい。変えていかなければ。
臼木の言葉を通して、改めて思う。
「多面的に『大丈夫だよ』って言える仕組みがあれば、今の社会問題って解決できることが多いと思うんです」
この「綱渡りの社会」を変えて、「大丈夫だよ」と言える社会になれば。
そんな思いも、臼木は語ってくれた。
「多面的にいろんな所で、大丈夫だよって言える仕組みを作っていかないと。ここも結局、みんなが挑戦できない、一歩踏み出せない理由だと思うんですよね。」
「やっぱりみんな、細い綱の所をヨシ行け!って言われたって、そりゃ踏み出せない人も多いので。そこをちゃんとね。一歩踏み出しても大丈夫だって環境を整えることで、今の社会問題って結構解決できることが多いと思うんですよね。少子化にしてもそうですし。」
「我々の世代、ロストジェネレーションと言われても、やっぱり生きていかなきゃいけない。そういう中で、なんとかやっている人もいれば、くすぶっている人もいるだろうし、色んな人がいると思うんです。けれど、一人で抱えて生きていくのは大変なので。つながりが欲しい人も、一人でいたい人も、安心できる社会の下支えを、作っていかなきゃいけないよねって。」
「私よく、マットに例えるんですよ。体育の授業とかで下に敷くマットです。そのマットが、隙間だらけで、いろんな所が薄くなっている。そういう状態ではなく、”分厚くて隙間の無いマット”。そういう下支えを、社会に作っていく。これを作れるのはやっぱり、政治しかないと思います。」
一歩踏み出す。
たとえばそれは、結婚や出産。就職や転職。あるいは、大きな買い物であったり、新しいことを始めたり。そうした人生の節々で、挑戦よりも躊躇いが勝ってしまう。もし、この選択が正解ではなかったら。
でも、そこで結果として『ああ、やってしまった、失敗だった』と思っても、大丈夫だよ。そう言える社会環境が整っていれば、僕らはもっと、豊かに、明るく、不安なく日々を過ごせるのかもしれない。
断崖絶壁のような、“なだらかさ”のない生活保護制度
「たとえば生活保護もそうです。今、断崖絶壁みたいな状況なんですよね。でも、支える仕組みって、もっと“なだらか”じゃないとおかしいし。」
なだらかな福祉制度。臼木の言葉を聞いて、僕はとある小話を思い出した。以前、どこかで見かけた、生活保護の話。
―――今の生活保護は、“崖から落ち切った人”しか救わない制度ではないか。崖の途中の小さな木の枝に引っ掛かって『助けてください』と言っている人に、『ちゃんと下まで落ちて下さい』と。そして崖下まで転落して、複雑骨折して、それでようやく『はい、ちゃんと下まで落ちましたね、じゃあ病院に連れて行ってあげます』。そんな制度になっているのではないか。
臼木は頷いてくれた。
「本当にそうです。それが本当に生活を支える仕組みなのか?私はそうじゃないと思っていて。」
彼は、こうした社会保障制度の問題について、厚労省の若手官僚と政治家との話し合いに、秘書として同席したことがあると言う。
厚労省若手『制度としてできると思う』 - 政治の責任、そして『対決より解決』
「若手の厚労省の人たちも、『制度としてできると思う』って言ってたんですよね。ただやっぱり、そういった大改革は、官僚主導ではできない。」
「『こういう姿に変えていくんだ』ってことは、政治家が言わないといけない。大幅な変革っていうのは。やっぱり、そういった大変革は政治家の責任だと思うし、それこそが政治家だと思ったんですよね。それも一つ、私が今、こうやって立候補する理由の一つなのかなと思いますね。」
「大方針、大きな絵図を欠くのは政治の仕事です。そこに向かう具体的な詰めも含めて、与党も野党も官僚も、“対決より解決”っていうのが大切だと思っています。」
◆この危機感を、政治は僕たちと共有できているのか
分厚くて隙間の無いマットのような、安心できる社会の下支え。
断崖絶壁ではなく、なだらかで多面的な、幅広い裾野のような社会保障。
それは非現実的な夢物語ではなく、『制度としてできると思う』。
臼木秀剛だけではなく、厚労省にも、そう考える官僚がいる。
必要なのは、政治の決断。
しかし、なぜ政治はそこに決断力を発揮しないまま、今日に至ってしまったのだろうか。
この問いに、臼木秀剛は“危機感”というキーワードを提示する。
「与野党含めて、あーだこーだ言ってる場合じゃないよってことは、早く意識を共有しないと。ますますこの国は、世界から『何周遅れなんだ』って、笑い話じゃなくなる。」
「我々氷河期世代だってもう40代、50代もいるわけですから、対策を本当に早くやっていかないと、人も国も、取り返しのつかないことになる。そういう危機感は持っていますよね。」
政治になんて、期待しても無駄。そんな声にどう応えるか
臼木は確かに、危機感を共有している。
僕らと同じ危機感を。
しかし、今の政治は、危機感を本当に共有しているのだろうか。そんな疑問もある。
『政治には期待できない』『政治に期待するなんて無駄だよね』という、諦めを含んだ言葉を、口にする人々も少なくはない。
そんな率直な問いを、臼木秀剛に投げかけてみた。
返ってきた答えは―――世代の違いによる、肌感の違い。
故に、“危機感の共有”が難しいのではないか、そんな分析だ。
「結局、人の価値観っていうのは、その世代を生きる人達に共通すると思っていて。『これだけ私たち大変なんです』という感覚は、私たちは身をもって体験している。けれど、10年20年、世代が違うと、知識としてはわかるけれど、肌感としてはわかんないんですよね。」
「それをどうやって政治に反映するのかっていうのは、その世代の人じゃないと、主張もできないし、リアリティもないし、変えていくエネルギーにもならないし。」
「『政治に言っても変わらないよね』っていうのは、確かにその通りなんだと思います。その世代の人たちが政治の世界に出ていかないと、なかなか、その世代の声は政治に反映されない。」
「もちろん政治の世界は、入りにくい環境にあるとは私も思います。制度上の障壁がめちゃくちゃ高いので。難しいとは思いますが…それでも、これからの時代を作っていく政策は、これからの世代の人が入ってくれるのが一番ですよね。」
今の政治は、確かに僕らの危機感を、ロストジェネレーションと、その後の世代の危機感を、同じ肌感で共有はしていないのかもしれない。
でもそれは、誰だってそう。同じ世代の人でなければ、同じ時代を肌で感じることも、熱量を持って取り組むことも、難しいのではないか。政党や党派を問わず。
臼木はこうも言っていた。自分だって、年齢が10も20も離れれば、その世代のことは知識としてはわかっても、肌感まで同じように感じ取ることは難しいと思う、と。
だからこそ、任せっぱなしにするのではなく、臼木秀剛と深作ヘスス、二人の挑戦者が語ったように、「僕らの世代がやらなきゃいけないよね」。
◆本当は、「政治に関心を持たなくても、安心して暮らしていける社会」のほうが良い
それでも本当は―――。
予定した時間を大幅に越えて、次のスケジュールまでギリギリの時間になってしまったインタビューの終わりに、臼木秀剛は少し笑いながら、こんな話をしてくれた。
「-本当は、政治に関心を持たなくても、安心して暮らしていける社会のほうが良いなって思ってるんですよ。」
「これだけの問題が出てきたら、みんな政治に関心を持たざるを得ないし、『関わらなきゃ困るよね』という感覚は出てきているのかな、と思うんですよね。」
「ただ、私はでもね。政治に関心を持たなくても、安心して暮らしていける社会のほうが良いなと思ってるんですよ、正直。」
「政治に関心を持つことは、当たり前になってほしいです。けれど、『政治がこれじゃ困る』『もう黙っていられない』って意識で、関心を持たなきゃいけない国は、それはそれで、やだなと思うのも正直なところで。」
そういって彼は少し笑った。
もしかしたら、それこそ夢物語のような、理想の話かもしれない。
それでも、もし本当に、誰もが安心して暮らせる国が作れたとしたら-。
その国の政治は、まるで空気のように、大切だけれど、意識しなくても安心して暮らしていける、そんな存在になっているのかもしれない。
前向きに、明るく、より良い方向へ-国民民主党の姿と、臼木秀剛の政治観
そして臼木は、理想の政治の在り方について、言葉を繋げる。
「たとえば、今の方法より、もっと良い提案をした政党がある。こっちのほうが良いんじゃないか?とかね。こういった前向きな方向で、政治に関心を持ってもらうのが、本当は理想的だと思うんです。」
「国民民主党は、そういう前向きな発想でやってるんですよね。玉木代表、党のみんな、候補者のみんな見てても、そう。前向きな皆さんとご一緒させてもらって、ありがたいなと。『国民民主党でよかったな』って思いと、『頑張らないとな』って思いです。」
現在の国民民主党は、2020年の野党再編の際、大きな政党に合流せず、我が道を貫こうと、少数派にあえて留まった人々の集まりだ。泡沫政党となった同党の結党大会を報じた記者たちは、みな一様に驚いたという。
こんなに明るい結党大会は、初めて見た。
もっとお通夜状態になっていると思ったのに。
これほど議員たちが楽しそうに笑っている姿は、見たことがない。
そんなエピソードを思い出した。
どれだけ厳しい状況でも、いつも前向きに、新しい答えを探して、明るく笑っている人たち。そんな国民民主党の在り方が、臼木秀剛の政治観と交錯する、何よりも本質的な部分なのかもしれない。
◆おわりに
本稿の執筆中、こんなニュースが飛び込んできた。
政府、節電の家庭や企業にポイント還元。 新制度導入へ。
2022年の夏冬に予期される深刻な電力不足に対し、政府が打ち出した対策。つまるところ、節電に努めて下さい、というわけだ。
このニュースを目にした時、まっさきに僕の脳裏をよぎったのは、臼木秀剛の言葉だった。
「プラスの方向性に行くべきところを、マイナスの変化に進んでしまった―――」
この“節電ポイント”もまた、同じなのかもしれない。
何かを生み出す方向ではなく、何かを削る方向。そんなマイナスの指向性こそが、日本の停滞、その根本的な原因なのかもしれない。
もちろん、気楽に笑っていられる状況ではない。社会問題も政治課題も山積している。
それでも、あるいは、だからこそ。
ネガティブな感情に囚われず、ポジティブな発想力と指向性で、より良い未来を目指して、新しい答えを模索していく。そんな姿勢が、優しさと可能性のなだらかな裾野を持った、次の時代を切り拓くのかもしれない。
あの青い蝶ネクタイが似合う、優しい目をした黄色いうさぎのように。
文:Utoka(@utoka_da4)
※画像はいずれも、うすきひでたけTwitter(https://twitter.com/hide_usuki)より
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・執筆者:Utoka(@utoka_da4)
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