フルゲンさんの「まわりくどい」質疑、僕は共感するけどなあ…という話

フルゲンさんこと古川元久さんの質疑について、「まわりくどい」「さっさと本題に入れ」と、某SNSで批判があるようですね。

ただまあ、僕としては、フルゲンさんの議論の運び方に共感するところが多いんです。

僕はフリーランスです。

仕事は自分で営業をかけて取らなきゃいけない。単価交渉だって自分でやらなきゃいけない。そうしなければ自分一人の生活費すら赤字になってしまい、借金を重ねながら生活をするか、それもできなくなって(物理的に)首をくくるしかない。

そういう世界で15年ぐらいやっているので、当然、難しい交渉も日々経験しています。そういう自分の経験と、フルゲンスタイルとを照らした時に、「自分もこういう運び方をしているなあ」と。

そういう共感はありますね。


ズバっと正論をキメて、バシっと言ってスカっと。
見ているほうは気持ちが良いかもしれません。

けれどもそれを、実際に自分の生活がかかっている、家賃の支払いや食費がかかっている交渉でやってしまうと、どうなるのか。

その時は「議論に勝つ」ことはできても、次から発注、来なくなります。仕事がなくなるんです。収入がなくなる。


たとえば、わかりやすいのが価格転嫁交渉ですね。
この場合、交渉の目的は「従来よりn%高い単価で、今後とも取引を継続する」ことです。「今回発注分は単価引き上げを飲ませられたが、以降の発注が来なくなった」という結果になったら失敗です。

そして、相手をズバっと言い負かしてしまうと、後者の失敗になりやすい。

僕は発注する側も経験しているので、どういう風になるのか、よく知っているんです。

「面倒だから、ここは大人の対応で流そう。とにかく謝って、今回発注分は単価引き上げも対応しよう。でも、ああいう人は面倒だから、次回以降の発注はナシにして、そのままフェードアウトさせよう」

という判断になる。
まあ、そういう世界なんですよ。僕のいるところは。


正論というのは、硬い石のようなものです。

誰の立場に立っても「揺るがない」硬さがある。その硬い石を思いっきり相手にぶつけてしまったら、相手は傷つきます。少なくとも不快にはなるでしょう。

皆さんもありませんか。
誰かと言い合いになって、グウの根も出ない正論をズバっとぶつけられて、反論もできない。悔しい。そういう経験です。

厳然たる客観的事実として、ほとんどの人間には感情があります。そして人間は、感情に左右されます。我々はそういう生き物ですから、いたずらに相手に不快感を与えても、良い結果になることは、現実の交渉の場面では、決して多くはありません。

ですから、相手を傷つけないように細心の注意を払いながら、正論を放つ。
そのためには、まわりくどい言い方も必要になることが多いように思います。


感覚的な話だけど…そうだなあ。交渉の現場で話すことの9割がたは、「あなたの立場を理解しますよ」「あなたに共感しますよ」「我々の本質的な目的や利害は一致していますよ」という内容ですね。クドいぐらいにアピールするんです。で、残りの1割が、交渉の本題。利害が一致していない部分。こちらの要求。たとえば単価を引き上げてほしいとか、修正作業の追加費用を払ってほしいとか。

けれどもやっぱり、そういう「回りくどいコミュニケーション」があるからこそ、利害の一致しない交渉事でも、決裂させずにまとめる、あるいはその場ではまとまらなくても、ただちにディールブレイク(交渉決裂)になったり、紛争に発展するような事態を避けつつ、こちらの言い分を飲んでもらう可能性を残すことができる。

まあ、個人的な経験からは、そう思っていますし、そのような交渉を心がけていますね。


さて、政治の場においては、どうなんでしょうか。

思うに、「政権交代による政策実現」を目指すならば、徹底的に相手を論破したり、ズバっと言い負かすようなスタイルで良いと思います。政権を奪取して衆参で絶対過半数を押さえれば、相手と交渉しなくても政策を実現できる。ディールブレイクを懸念する必要がない。

しかしそうではなく、「協議や交渉による政策実現」を目指すならば、まあ少なくとも、無遠慮に相手をズバっと斬ってしまうようなスタイルは、必ずしも得策ではないのかもしれません。


そういえば以前、国民民主党の誰かが言ってましたね。
「対決してしまったら解決できない」と。

なんとなく、この言葉の意味が、僕には感覚的にわかる気がします。


今、国民民主党は、キャスティングボートを握ったとはいえ、単独で政策を実現できる勢力は持っていません。「協議や交渉」以外に、政策を実現する現実的な手段が存在しないと言っても良いでしょう。

『政府与党をズバっと言い負かしてスカっとしました。でもその結果として、いたずらに対立を深めてしまい、交渉が破綻して政策実現できませんでした。』

これは我々の、そして選挙で一票を投じてくれた多くの人々の、求める結末でしょうか。

僕はそうじゃないと思います。


あの武闘派で鳴らす榛葉幹事長も、この前の新橋の街頭演説で言ってました。

「自民党公明党や、野党第一党や他の野党も、いろんな思惑がある。」
「しかしこれはね、戦いじゃないよ。」
「今こそ、チーム日本が一つになって、この国を元気にするんだ。」
「知事会や市町村長の皆さんは、この交渉の敵ではないよ。」
「みんなして知恵を出して答えを出そうじゃありませんか!」


「これは”戦い”ではない。」
「この交渉の”敵”ではない。」

あの榛葉さんがですよ。
そう言ったんです。

意見や立場や利害は必ずしも一致しない。そういう相手と、それでも「戦い」ではなく、「敵」とせず、一緒になって新しい答えを出していく。

そのためには、ものごとを破綻させないための、大人の知恵や工夫が必要になります。

ズバっと正論を投げつけて、見ているほうはスカっとして拍手喝采、でも投げつけられたほうはイラっとする、不快になる。そういうやり方は、少なくとも、榛葉幹事長のお示しになった路線とは、ちょっと違うんじゃないかと、僕は思うんですね。

そういう観点をもって考えると、あの回りくどいフルゲンスタイルも、今の政治状況における「交渉と協議による政策実現」路線では、うまいこと噛み合うんじゃないかなあ…と思っています。


まあ、いうて時々スパイスも欲しいけどね(笑)。

以上です。