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サーカスの宇宙

禁色

高度成長期と共に過ごしてきた私は、東京の下町で生まれ育った。小学生の頃までは、よく母親に連れられ、銀座や浅草に遊びに行っていた。当時は、デパートの屋上遊園地はテッパンであった。銀座は松屋、浅草は東武の屋上に遊園地があった。浅草には、現在も在る「花やしき」が当時からあった。その「花やしき」の前には、いつも大人が屯している怪しい小屋、そう、本当に掘建て小屋のような体裁の小屋が異彩を放っていた。呼び込みの叔父さんが体に合わない着古したジャケットをきて、流暢な言い回して口上をしているようだった。何故、ようだったかというと、母は私を近寄らせたくなかったのだと思う。いつも、そこを避けるように私の手を引いて歩いていたから。遠巻きにチラッと眼をやると、墨で描かれた、おどろおどろしい文字や絵が無造作に散らばっていた。聞き耳を立て、口上を伺うと、それもまた、薄気味悪い恐怖心を高揚させるものだった。      

私は、その禁色の如く閉ざされた不可思議な異空間に、心惹かれていた事が意識出来た。けれどそれは、口外してはいけないのだと、子供ながら察した記憶が残っている。10歳になる頃には、そこは小屋もろとも跡形も無くなって、暫く空き地になっていたような気がする。

影絵

芸術への官能美

10代の半ばを過ぎると、その興味の受け皿に芸術と哲学と映画が代等した。殊更フランスの芸術文化にのめり込んで溺れていた日々は、私の礎を築いたと、感じる。1920年代のパリに、何故私はそこに存在しなかったのだと、嫉妬したものだ。イタリアの映画監督であるが、フェデリコ・フェリーニという巨匠がいた。フェリーニの映像の中にサーカスや道化師がよく登場する。音楽は決まって、ニーノ・ロータだ。その世界観は、私を美の世界へと誘う案内人になる。ノスタルジックで、過去未来感があり、儚く、永遠で、何故か哀しく、滑稽でもあり、異世界感があり、幻想的で現実的な世界だ。けれど、映画の中の世界だと想っていた。

フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920年1月20日 - 1993年10月31日)は、イタリア・リミニ生まれの映画監督、脚本家。「映像の魔術師」の異名を持つニーノ・ロータ(Nino Rota、1911年12月3日 - 1979年4月10日)は、イタリアの作曲家。クラシック音楽と映画音楽で活躍した                出典  |  Wikipedia


真夏の夜の夢

20歳の7月のことだ。その頃、パリで暮らしていた私は、バカンスで北の避暑地にあたるノルマンディー地方のドーヴィルを訪れた。ここは、映画監督クロード・ルルーシュの「男と女」の舞台となった海岸がある。他にも、ルキノ・ヴィスコンティの「山猫」で登場するホテルも砂浜の前に鎮座しているところである。ココ・シャネルが恋に堕ちたのも、この真白な砂浜の上だ。実際の地を訪れて、観たいところだった。

クロード・ルルーシュ(Claude Barruck Joseph Lelouch, 1937年10月30日 - )は、フランス・パリ出身の映画監督、映画製作者である            ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti, conte di Modorone, 1906年11月2日 - 1976年3月17日)は、イタリアの映画監督、脚本家、舞台演出家、貴族(伯爵)。映画監督                              ココ・シャネル(Coco Chanel、出生名:ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chasnel)またはガブリエル・ボヌール・シャネル(Gabrielle Bonheur Chanel)、1883年8月19日 - 1971年1月10日)はフランスのファッションデザイナーー、企業家。彼女が創設したシャネルブランドは世界有数のファッションブランドとして現在も営業している                       出典  |  Wikipedia

空中ブランコ

パリ・サンラザール駅からSNCFで2時間足らずで、トゥルーヴィル・ドーヴィルという港町の駅に到着する。プラットホームに降り立つと、夕刻の眩しく黄金色の光が眼を刺してきた。駅前の広場は、何やら騒がしく、遠くにパレードらしき残像が網膜内に見えた。人混みに紛れてパレードを待っていると、道化師がチラシをひらひらと宙に放ちながら群勢を引き連れて歩いて来る姿を目撃できた。像やライオン、熊もパレードの中心にいた。シルクハットを被り口髭を蓄えた団長は、オープンカーでお出ましした。                          まさか、と思う間も無く、幻想であった時間が現実になった。その群勢の後を大勢の群衆と共に、捕らわれた私は、その後を着いて行った。30分程歩いたのだろうか、すっかり日は暮れ、辺りは真っ暗で、砂浜に漂着していた。漆黒の沈黙が訪れ、波の音が心地良く胸に響いていた。パンッという音と共に照明と松明でサークル状の砂舞台がフワッと闇の中に浮かび上がってきた。波のリズムと共に聞き覚えのある音楽が私の心をまた酔わせるのだった。ニーノ・ロータの音楽と波の音色は、幻想の序曲となった。宙では、星空の下で空中ブランコの軽業師が闇を泳いでいるのが見えた。

そこから先は、はっきりと覚えていない。・・・

朝の砂浜

ホテルで目覚めると、日常のドーヴィルだった。さっさと朝食を済ませて昨夜の砂浜に向かった。      

そこは、砂浜だった。と言うか、砂浜でしかなかった。

跡形も無く、砂しかそこには無かった。











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UMOKUTOJI
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