【2019駒場祭特集】ジンブンアトラス編③-上野動物園のペンギンとそれを見る子供
出典:http://www.ricora.net/photo/39.html
突然の癒し系画像にほっこりしたみなさん、
しかしまだ気を抜くのは早いようです。今回はこのかわいいペンギンと子供たちの見つめ合う画像から、「かわいい」ということ以外に一体どんなことが読み取れてしまうのか、とくとお見せいたしましょう。
どうせかわいげのない文章ばかりなんじゃないのと思われる方もいらっしゃるでしょうけれど、心配はご無用、すでにジンブンの海に漕ぎ出して久しいあなたですから、このかわいくなさこそがジンブンのかわいさなのだと、きっとご理解いただけるはずです。
動物園と近代国家 -宇野(歴史学)
まず、「公金を投じて(ペンギンのような)外国原産の動物を収集・飼育する理由は何なのか?」という疑問が浮かびます。上野動物園は、西欧の自然史博物館を模倣して1882年に設置されました。博物館は近代国家にとって、支配する領域に何があるか・誰がいるかを把握し、秩序立てて示すという役割をもっていました。近代化を進め、北海道、琉球、台湾、朝鮮へと版図を広げていく大日本帝国にとっても、自身の領域の把握は急務であったでしょう。そのとき、上野動物園はどのような機能を持っていたのかが気にかかります。
来園者の側はどうでしょうか。動物園は市民の憩いの場、エンターテインメントとしての性格をも有していました。その一方で、日清戦争の戦利品動物の展示、太平洋戦争時に日本軍が侵攻したマラヤやシンガポールからの南方動物の輸入などは、動物園を通して戦意高揚を促すものでした。そんな時代の来園者たちは、どんなメッセージを受け取っていたのでしょうか。そして、ペンギンを見つめる現代の子どもたちはどうでしょうか?
何のための動物園? -岡田(美学)
黄色い帽子に体操服の子どもたちが、囲いから身を乗り出してペンギンを見ている。おそらく学校の行事で、先生に引率されてやってきたのだろう。
生きたペンギン、そしてペンギンたちがそこから出てくる人工岩で作られた住居。その周りにあるのは張り巡らされた堀、そしてそれらを取り囲む檻がある。そしてそれらこそが動物園の構成要素だ。区切られた場所に(多くの場合)一つの種の動物が配置され、動物と人間は囲いで隔離されている人工空間、というのが一般に言われる動物園だろう。
ところでそのような動物園は何のために存在するのだろうか。動物園の存在意義について考えるために、ここでMarta Tafallaという哲学者の「動物園における動物の美的鑑賞」‘The Aesthetic Appreciation of Animals in Zoological Parks’(2017)という論文を参考にしてみよう。まず動物園の主張する存在意義を筆者は以下のように定式化する
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