凍死未遂録
もう少し待てば完遂できたものを、11月半ばに決行したため上手くいかなかった凍死未遂を思い出して書いておこうと思いました。
・自殺の日程調整
日曜日にしました。
たしか、その週あたまには既に人生の限界を感じていたのですが、金曜日と土曜日は仕事であり、家賃を払わなければいけませんでした。
死ぬのに家賃を払う必要があるのか?と疑問に思われるかもしれません。私も今では疑問に思いますが、とにかく迷惑をかけたくない気持ちが強く、あまり現象の一つ一つを精査していませんでした。
家賃を払うには、金曜日と土曜日の仕事を終え、週払いのお給料をいただく必要があったので、結果的に日曜日になりました。
・お金がとてもない
日曜日、家賃を払い終わったあとの私の所持金は、1000円と少しだけだったような気がします。ちなみに全財産です。
タバコとビールを2本買いました。
死ぬ必要性を強く確信していた理由は、金銭的な困難さにもあります。
当時は働いていましたが、働く気力みたいなものも限界に近く、猫と金魚を養うには、私ではない誰かの力が必要であると確信していました。
私が無駄であると思いました。
私が死ねば私の養っている動物は全て、死ぬか引き取られるかするのだろうと。今は無責任に感じますが、「死ねば全て許してもらえるよ」と、脳内で私が言い続けていました。私は洗脳されていました。
・感覚
全世界を愛していました。自分すら愛せました。
何事にもそれで最後だと思っていたので、穏やかに接していました。
爽快感と安心があります。これは私にとって、自殺を決意しなければ感じることの出来ない感覚です。
・治療
バルプロ酸という薬と、睡眠薬と、頓服を貰っていました。
自殺を決意してからは何も飲んでいませんでした。飲むまでもなく精神が安定していましたし、凍死決行の際、体を動かなくするためにODしようと考えていたため、薬を貯める必要があったのです。
・凍死予定の日
その週の札幌は冷え込んでいました。
11月の中旬でしたが、週半ばには雪が降り、私の精神はより安定しました。
日曜日になり愕然としました。あきらかに暖かかったので。
逡巡しましたが、決行することにしました。
天気予報を見れば、当日の夜は冷え込むことがわかったので、服を濡らし時間をかければ凍死できると思いました。
・公園探し
家でビールと風邪薬を飲みました。
アルコールは血行を良くするので、効率的に体温を低下させることが出来ると思いました。
風邪薬は動かなくするためです。
それと、いつものようにタバコを食べました。
2024年の自殺未遂は3回目でしたが、その全てでタバコを食べていました。つまり意味がありません。なぜ食べたんでしょうか?
飲んでない方のビールをもって、公園を探しました。
どこにいったのかはわすれましたが、良い感じのベンチがあったので、そこに寝転び、風邪薬が入っていた瓶に詰め替えた睡眠薬と頓服を全て飲み、意識が途絶えるのを待ちました。
驚いたのは、とにかくめちゃくちゃに苦しかったということです。
痛いです。濡れた服は風が吹くたびに強烈に痛く、ものすごい後悔が襲いました。
4年ほどまえに首吊りに失敗しているのですが、あれのほうが遥かにマシでした。
気持ちも悪かった気がします。
・結果
覚えていませんが、次の日に目覚めました。
救急車で運んでもらったみたいでした。
入院着をきており、当時通っていた精神病院に入院していました。
3日で退院しました。
無理やり退院したのでその病院に通院することは出来なくなりました。現在は一切治療していません。
・今後
とりあえず凍死はしませんと言えたらいいのですが、道端に寄せられた雪の壁を見る度に寝転がりたくなります。