すの誘惑
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愛蛇《あいだ》果奈《カナ》は悪魔であった。
「悪魔ではなくわたしはサキュバスです。」
サキュバスは悪魔の種類である。
黒色の水着姿のカナは、
普段は絶対に着ないような
肌を露出させた格好で立っていた。
眼鏡と丸い頭はそのままに、
キノコのように生えた黒色のツノ。
それから尾てい骨あたりから
先端が逆ハート型の尻尾を生やしている。
身の丈を超える三叉戟《さんさげき》を、
重たそうに両手で支えてなんとか立っている。
そのように、異本《いのもと》イオンは
珍しいカナのその姿をじっと眺めた。
明るい髪を団子頭にして青い目のイオンは、
白色の裾の短いワンピースを身にまとっていた。
それは普段の寝間着だった。
長身のイオンには出るところは出て、
引っ込められるところは引っ込めるよう
引き締めている。
イオンは年相応に体型に気を使っているが、
カナはあまり気にしていない。
自らをサキュバスと名乗ったカナだが、
まるで水着を着た寸胴鍋のようであった。
「あのね、カナ。その体型で
サキュバスっていうにはあまりにも。」
「ふん。」
イオンの不用意な発言に、
カナは振り上げた三叉戟で頬を突いた。
「ちょっと! 暴力禁止!」
「悪魔なのでレギュレーションの範囲です。」
「なるほどなぁ。」
カナの言葉に妙な理解をしつつ頬をさすった。
頬にはまるで痛みが無かったので、
今更になってイオンはこれが夢だと気づいた。
「ははん、それでサキュバスさんは何をするの?」
「イオンちゃんに代わって料理をします。」
イオンの夢は決まって脈絡《みゃくりゃく》がない。
重たそうだった手元の三叉戟は、
いつの間にか黒色のトレイに変わっていた。
トレイの上には土色をした太い根っこの束。
「イモ?」
「蒸したキャッサバイモです。
昔に流行った、タピオカの原料です。」
渡されたイモを1本千切って
その根の皮を半分ほど剥《む》き、
黄金に色づく中身を頬張《ほおば》る。
サツマイモに似た甘い味がする。
「キャッサバには皮とその芯に毒があります。」
「は?」
イオンは口からイモをこぼしたところで
夢から目覚めた。
「それは何かのジョークですか?」
「語感が似てるなぁって。」
そんな夢の話をしながら、
屋上で昼食を終えたイオンとカナ。
後頭部で束ねたイオンの髪が風になびく。
ほのかに吹く秋風が頬を撫でて気持ち良いが、
外で過ごすには寒い時期になった。
水筒に入れた紅茶が
ふたりの身体を内から温める。
文化祭を終えると同時に生徒たちの熱は冷め、
生徒としてのモラトリアムと日常を繰り返す。
「そんなキャッサバ粉で
これ作ってきました。」
カナが小さな保冷バッグを取り出した。
イオンがずっと気にしていたものだった。
半透明の器に黄金《こがね》色の内容物。
底には黒色のまだら模様が見える。
「タピオカ入りのプリン。」
タピオカ粉を買った話をカナから受けて、
イオンはキャッサバとサキュバスの夢を見た。
「カナは食べないの?」
「試食で食べちゃいましたので…。」
自らのお腹に目を向けたカナに、
イオンは夢の中の寸胴鍋を思い出す。
「来年の球技大会に向けて特訓しよっか?」
「えぇー…。」
「カナってばまともな筋肉ないんでしょうし、
まずは室内プールで全身運動とかね。」
眉を歪めて露骨に嫌そうな顔をカナは見せた。
イオンとは違いカナは運動が得意ではない。
「人類は魚類ではありませんよ。」
「自分が泳げないことを、
生物学の分類で否定するんじゃないの。
創造神視点になっちゃてるわ。
今度一緒に水着買いに行こっか。」
「イオンちゃん、変なの選びませんか。」
「普通のよ。普通。
運動用なんだから。
例のアイフレ部のウェアみたいな。」
「それなんか凄い派手な人混じってます?」
「あぁそういえば居たかも…。」
トレーニングウェアに混じってひとり
水着のような格好の人物をイオンは忘れていた。
「それより早く食べないと
休み時間終わっちゃいますよ。」
プリンに被せたラップフィルムを取らずに、
イオンは両手で大事そうにする。
「カナの愛情を独り占めするみたいで、
ちょっと気が引けるわ。
…これってひょっとして毒入り?」
「まだ夢でも見てるんですか?」
「カナの水着姿に。あ、目に毒?」
「もー刺しますよ。」
カナにプラスチック製のスプーンで
ぷにぷに頬を刺された。
カナの予告は問答無用で凶行に及ぶ。
「おいしい。甘くって溶ける。」
キャラメルソースのほのかな苦みと、
カスタードの濃厚な甘さが口の中で交わる。
さらにタピオカのもちもちとした食感が、
イオンの口を楽しませて頬が緩《ゆる》む。
「ちょっと鬆《す》が入っちゃいました。」
「お酢?」
「容器とカスタードの間に
出ちゃう気泡のことです。」
「お菓子作りって繊細で難しいのよね。」
「イオンちゃんが大雑把過ぎるんですよ。
料理もそうですけど、レシピ通り
手順と分量守ればできますから。」
「んー。はい、あーんして。」
話の途中でイオンからスプーンを口に運ばれ、
結局カナもプリンをご相伴《しょうばん》に与《あずか》る。
「プリンのお礼に何か作ってこようか。」
「毒ですか?」
「なんでそんなひどいこと言うの…。
毒なんてアタシ作ってきたことないでしょ?」
イオンの目を見て、
疑いの眼差しでカナは口を閉ざした。
「じゃあカナはプール行く。アタシは料理する。
ダイエットも料理もできて一石二鳥。」
「イオンちゃん自分で作りたいだけじゃない?」
「そんな事ないって。
アタシ料理得意じゃないもの。」
「それは知ってます。」
カナは甘味の誘惑から生じた自らの肉体と、
イオンの料理で犠牲になることを懸念し
秤《はかり》にかけた。
秤に乗る勇気はカナにはなかった。
「プールも料理も一緒だったらいいですよ。
イオンちゃんもですよ。」
「ふふっ。もちろん。
早速帰りに水着を買いに行こう。」
「学校のじゃ駄目なんですか?」
「キャッサバ姿よりも
恥ずかしいことになるよ。カナ。」
「キャッサバって何ですかそれ。
あ、…芋?」
イオンは黙ってプリンをふたたび
カナの口へと運んだ。
その約束を楽しみして、
ふたりはもうひとつのプリンを分けた。