24 アンのいた日
掲載サイト
https://shimonomori.art.blog/2021/10/02/sat-an/
マガジン
https://note.com/utf/m/m4c5f981c39a9
――――――――――――――――――――
カーテンからこぼれる朝日に目を覚まして、
扉の前の廊下で待ち構える黒曜にあいさつ。
黒曜を抱えて洗面所へ行き、
顔を洗い、寝癖のついた髪を梳きます。
パンをトーストして食べ、牛乳を飲み、
朝食を終えたら歯を磨きます。
気温が低い内に黒曜を朝の散歩につれて行き、
図書館で借りた本を読みます。
昼ごはんを済ませると自転車でおつかいに行き、
帰ってきたらまた自転車で今度は図書館に
本の返却と貸出に出かけます。
夕方には気温が下がり、
黒曜の散歩に出かけ、晩ごはんを食べ、
お風呂に入り、布団に入り、1日が終わります。
いつも隣にいた、赤いモップの
アンがいなくても変わらず
ビビの毎日は続きます。
夏休みは恒例の祖父母の家に行き、
ビビは久々に父に会いました。
相変わらず本の虫だと姉のエリカは言います。
最近は料理を覚えて、祖父ダンテの味に似ていると
母のティナが言いました。
傷だらけで自転車に乗ったときの話を父がします。
父はいまも心配性で、ビビの身体を気遣います。
来年には中学生なんだからと、
ティナが父の心配性をたしなめました。
祖母は笑ってダンテの料理を振る舞います。
黒曜は知らない人ばかりに囲まれ、
飼い主に似たのか人見知りして、
移動用ケージからあまり出たがりません。
それをビビみたいだと、
エリカが言ってからかいました。
ビビは少しだけムッとしました。
ティナはビビが授業で描いた絵を見せ褒めました。
ダンテの作ったオムライスを描いたものです。
褒められ慣れていないビビは戸惑いました。
それに『将来』というテーマと逸脱しているので、
正しい絵ではないと思っていたからです。
家に帰ってから、
ビビはペンを取り絵を描きました。
絵を描くのは得意ではありませんでした。
小説やマンガに触れても、
ビビはそれを楽しむだけでした。
手始めに描いてみた黒曜は、
変な顔にまるで棒の手足がついた毛玉でした。
動物の体毛は輪郭を曖昧にさせるので、
何度描いても上手くいきません。
見直せば見直すほど、
恥ずかしい出来に一度はペンを置きました。
絵を描くことを諦め掛けたビビですが、
もう一度ペンを取ってノートに線を走らせます。
紙の上を走るペン先が
シャッシャッと小気味よく鳴り、
次第に大きな輪郭が浮かび上がります。
つんとした目と、大きな口には
あの水色のアイスの棒を突っ込み、絵は完成です。
褒められた出来ではありませんが
納得いく絵にビビはついつい鼻で笑い、
その隣に小さな自分、毛玉の黒曜、
それから姉と母を並べます。
エプロンをしてギョウザを作る。
大きな麦わら帽子をかぶって、
好物のアイスキャンディの絵を描く姿。
川に入って石を集める。タヌキを飼う。
サクラ家にやってきた不思議な赤いモップ。
ビビは宇宙からきた居候、
アンとの日々を絵に描きました。
一緒にギョウザを包み、お好み焼きを焼き、
自転車に乗る練習をし、スシを食べ、
学校で習字をして、オリガミで遊び、
お菓子の撮影に夢中なアン。
宇宙からやって来て、川や石を珍しがり、
アイスが大好きな、変なしゃべり方をする子。
おかげで、いつもちょっかいを出してくる
金髪のアクタの事故現場に遭遇したり、
字が上手い長身のスーと友達になりました。
ふたりだけで遠くの海に行ったこと。
河原で石を投げ、一緒にお風呂に入ったこと。
夏休みの間、ビビはずっと絵を描きました。
忘れないように。記憶が薄れてしまわない内に。
アンと過ごした日々を絵に描き記しました。
それらは病気がちで本ばかり読んで過ごしていた
ビビにとって、刺激的で濃密な毎日でした。
夏休みの終わり間際、ビビの筆が止まります。
描く絵が尽きて寂しさに涙ぐむビビは、
机の上に飾ったペンダントを見ました。
それはアンから貰ったカルサイトです。
「これを装備すればきっと迷わないぞ。」
アンはそう言いました。
ビビは石を指でなで、ひたいに押し当てました。
初めてあった日を思い出します。
ふたりの出会いは学校の中庭、
飼育小屋の前でした。
見ず知らずの同居人との生活に対する
不安と期待といつもの妄想が、
あの日、小さなビビを行動させました。
9月に入り学校の夏休みが終わると、
アンと出会った朝と同じく、
ビビは早くに家を出ました。
校門を抜け、中庭に入ると、
少女の影がありました。
ビビは彼女に呼びかけます。
「おかえり。
赫き暗黒からの使者。」
赤くて背中をおおうほど長かった髪の毛を、
肩ほどまで短く切った女の子。
「違うよ。血の盟約者だよ。」
「そうそう。」
顔を見合わせるとアンが吹き出して笑うので、
ビビも釣られて笑いました。
たった1ヶ月離れていただけなのに、
ふたりにはとても長かったように感じました。
それから少し間を開けて、
アンはこう言いました。
「アイスある?」
「あるよ。」
「あるんだ。」
「アンがいないと、減らないんだよ。」
それは土曜日の、
宇宙からやってきた少女アンと
地球人のビビが出会った、
朝早くのことです。