入院日記 2024/6/27

「反復は、孤独な者のロゴス、単独者〔特異なもの〕のロゴスとして、「私的思想家」のロゴスとして現れる。」

 1ヶ月にわたる長かった入院生活を終えるにあたって、僕は、ひとつの問いとささやかなその答えを手にしている。つまり、様々な事柄に対して丹念に問われ、すっかりくたびれた「なんのために」と、それに毅然と答える無言である。
 入院する直前、物事は全くあべこべな重みを持っているように思われた。物事は、大通りでもらう広告付きのティッシュ・ペーパーのように無意味であるか、それか何十階にも積み上がった鉄骨の大建築のように計り知れない意義を隠し持っているかのいずれかであり、そしてその二つは気まぐれに切り替わってしまうのだった。同様に、自分の人生の重みを、僕は量りかねた。キャベツを切るとか、ごみを捨てるとか、そんな日常の些細な行為が、もしかすると、僕が思い誤っているよりもずっと重く、もっと別の、真正のしかたでなされねばならないように思われた。物事は僕の想定よりも遥かに重いか空気のように軽いかのどちらかであり、僕はそれを量るための僕自身を、コックピットに座るパイロットを、ハンドルを握るドライバーを、欠いているように思われた。「なんのために」を僕は問い続けた。なんのためにそのように重くある必要があるのか。なんのためにそれほど軽いものが存在する必要があるのか。掌の内に感じられるようなしっとりとした重みは、既に指のあいだから零れ落ちていた。ほとんどすべてが、学園祭の出し物程度の存在意義しか持っていないように思われた。偉大さは深い井戸のなかに置き去りにされてしまったように思われた。高いもの、意義深いもの、真に感動的なものの前で、人びとは軽く会釈をしてから通り過ぎ、そして肝心の舞台ではそのきわめて俗悪なパロディーを繰り広げては、目の悪い観客の歓声に満足しているようだった。僕にはわからなかった。僕は量りかねた。そして何より、僕にはできなかった。皆と同じように、僕の前にAと名付けられた一つのボールと、Bと名付けられた箱が置かれた。AをBに入れろ、という指令が与えられ、そして皆がそれを難なくこなし次の作業に移っていく中で、僕は独りで茫然と動きを止め続けた。「なんのために」、という疑問が、Aを掴む手をとどめて離さなかった。
 入院生活が答えを与えたのではない。むしろ、入院生活においてさえも答えは与えられないということが、それ自体絶対の答えだったのだ。要するに、「なんのために」が飢え求めている物事の価値や意義は、その飢え、その欠如に対して直接あてがわれる充足として与えられることなど決してあり得ず、それは、複雑で様々な項に媒介された手続きが生産する何物かと共に、副次的に生産されるものに過ぎないのだ。幸福と同様に、意義は次のような特有の錯覚をもたらす。それは副次的でしかないのに、それを欠如した魂にとって直接に不足しているものとして表象されるのだ。
 すなわち、入院を経て僕が学び知ったことがあるとすれば、それは、世界は本当に底が抜けているということである。誰も、最小の「なんのために」にすら十分に答えられなかったということに、怒りを覚えるべきだろうか。しかし、答えの無が一般論のパラフレーズでしかなかったとしても、僕は、覚悟を決めることの必要性をも同時に学び知ったのだ。ある禿頭の老人は僕にこう言った。踏ん切りをつけなさい。そうでないといつまでも俺のようにここにいる羽目になる――。そんなのは御免だ。しかし未だにわからないことは、一体、踏ん切りというのは、どうやってつければよいのだろうか。
 ひとつには、あの答えの無の徹底化を挙げることができるだろう。世界の底は抜けているのであり、あらゆる物事は無の上に坐っているのだから。僕はずっと、数学の問題のようには答えが到底存在しない問題に関しても、誰かがバツ印を付けにやってくるのではないかと怯えることをやめられないでいる。しかしどこまで行っても、決定的なマークを印づける他者はやってこない。やってくるのは個別具体的な意見を携えた個別具体的な人間だけであり、彼らは自分のつけるマークが僕にとって致命的な意味を持つに至るときまで責任を取ってくれるわけではあるまい。こんなところに入院することになっても、人生の終わりのマークを印づけにくる者は誰も現れなかった。或いは暗黙の裡に、口には出さないまでも解答用紙にひっそりとそれを描き込んでいるのかもしれない。しかし挽回の可能性は常に開かれているし、さらに言えばこれが停滞や後退であったのかも怪しい話である。とりもなおさず、すべては僕が決めることでしかない。問題は、パイロットが未だ不在である、ということだ。そしてそれこそ、踏ん切りをつけることで払拭すべき事態であるはずである。
 こうして論理はぐるりと循環し、元居たところに戻って来てしまう。一体どうやって踏ん切りなるものをつければよいのか?辺りは一面ぬかるみであり、踏ん張ろうとしても足場はなく、時々の流れに徒然に流されることしかできない。自己はまだ、そのように卑小で、頼りない。

 まだ、話すべきことがある。

 僕がここに入るになった原因、犯した罪を数え上げてみてもう一つ思い当たるのは、ある一般的なスピード違反である。僕は、物事に対してあまりにも速すぎた。あまりにも素早く思考し、あまりにも素早く脇にのけ、次の事柄にすぐさま注意を向けては、数秒前に向き合っていた対象のことを忘れた。そうして何年か過ごしてみて、振り返ったとき積み上がっていたのは知の集積などではなく、忘却の残り香――かつて自分が通り過ぎたものの、淡く遠い記憶の断片たちであった。忘れるなんて誰にだってあることだ、と言うだろうか?しかし、どうだろうか。毎日親しく話し、特別な友情や愛情で結ばれていると感じる人間の名前を忘れることは?何度反芻しても、盲点のようにすっぽり抜け落ち、その部分を補おうとすると今度は別の部分が記憶から消去されている、ということは?かつて自分が熱中し、熱烈に愛していたことがなんだったのか、どこに行き何をしてどう感じていたのか、どうしても思い出せない、ということは?子供の目から見えていた世界の色、初恋の味、忍んだ失敗の苦痛、かつて自分がそこに確かに存在していたという、もうこの世界に存在していない手がかりが、それによって一人の人間がネクタイを締め襟を正すようなその感触が、すっかり抜け落ちてしまっているのだとしたら?…ここまで問い詰めてみれば、誰もがたじろぎ苦笑いするのはわかっている。ここまでいってしまえばもはや客観の領分ではなくなってしまうからだ。他我の存在を直接確かめる術がないからといって孤独への恐怖に騒ぎ立てるのと変わらない。しかし、それはそれで一種の病であるのには違いないのだ。僕の場合、他人ではなく自分が、すっぽり抜けてしまっていた。ひとは興味のない内容は覚えていない、といわれる。そうだとすれば僕はこの世界の興味がないということになってしまうだろう。僕に与えられた責務も戯れも、悦びも悲しみも、美しい瞬間や真実の瞬間も、僕がどう望もうと僕の興味には引っ掛からず、したがって記憶からこぼれていってしまう。こんな言葉がある。「なんとも矛盾したことに、踏破すべき道があり、踏破しなくてはならないが、往く者がいない。行為は全うされたが、行為者がいない」。そういうことだ。
 どんな些細なことにしても、踏ん切りがつかないということが、結局僕の抱えた病だったろうか。僕はスカッシュをプレーしている人を想像した。ボールを正面の壁に向かって打ち放ち、そしてその壁が正確な角度でボールを跳ね返すのを見越して踏み込み、打ち返す。壁は予め想像していた通りの仕方でボールを反射するので、原理的には半永久的にプレーヤーはスカッシュを続けることができる。人生も或いは似たようなものなのかもしれない。状況に向けてボールを打ち放つ。その状況というのは、自分が携わっているプロジェクトであったり、他人との関係であったり、一人きりの趣味であったりもするだろう。いずれにせよ、ボールは予想したとおりに――想定外の事態というのも中にはあるにしても――跳ね返ってくる。ひとが壁について知っていることは、それがどんな風にボールを跳ね返すかということだけだ。そして、知っておくべきこともそれだけだ。そうしてひとは、何よりも自己の確かさを確かめるのかもしれない。踏ん切りをつける自己を、そうしたプレーヤーに発見すること。コックピットに座るパイロットもハンドルを握るドライバーも、そうしていまここに発見することができるのかもしれない。
 僕にとってスカッシュに当たるものが何なのかということを考える。そして答えはすぐに出力される。哲学以外にあり得ない。入院して暫く、恐らく1週間程度の間、僕はたいして何もせずにベッドの上で時間をやり過ごした。すべては失われてしまったように思われたし、失ったことすら既に忘れかけている自分が歯がゆかった。物事は僕の及ぶ範囲からずっと遠くに消え去ってしまったように思えたし、死を手繰り寄せるという最後の使命をいかに果たすかに思念を巡らせてばかりいた。
 次第に、少しずつ、物事が象徴的な意味合いを含んだ燐光を持ち始めた。僕はノートを開いて、そこに頭に浮かんだ事柄を書き込んでいった。書き込みは日を追うごとに量を増し、整理が必要になった。そうなると僕はノートの反対側にいくつかのモチーフごとに思考したものを書き連ねていった。だんだんと書かれた事柄同士が互いに関連した意味を持ち始め、一つの巨大な体系が組み上がっていくのを眺めて息をのんだ。それはもしかしたら哲学と呼べるようなものではなく、哲学以前の、人がひとりで立ち生きるために必要な最低限の倫理に過ぎないのかもしれない。しかしそれにしてはあまりに突飛で煩雑で難解なこの体系は、では一体何なのだろうか。
 この体系は、<システム>の論理に貫かれた街から<地下街>に転落する場面で始まる。<システム>の論理は地上の街で生きる人々の人生訓や感情表現、並びに精神の関与するあらゆる事柄の諸法則を貫いて働いており、主人公はその論理から外れ、或いはその論理が排斥するに従って、掃きだめである<地下街>に転落し没落した人生を送る。成功や失敗、物事の道理一般をつかさどる<システム>の論理は、地上の人びとが語ることを通じて暗黙に語られる、巧妙に隠される論理なのであり、人々の語りはこの論理を暗に語るための暗号コードに過ぎない。<地下街>から地上のビル群を見上げる。建設途中のビルの上で、数台の建設車両がその大きなクレーンを上下させている。巨大な水飲み鳥のようだ。主人公の連想のなかで、地上の人々と水飲み鳥のクレーンが重なる。頭を上下させる自動運動、それ自体は語らず、常にその奥の論理によって暗号化されたコードを語らされているに過ぎないもの――。
 おぼつかない足取りで<地下街>を歩く老人が、遠くからでも聞こえる声で歌を口ずさんでいる。
   I can't stop the lonliness
   だれか救けて 悲しみがとまらない
   I can't stop the lonliness
   こらえ切れず 悲しみがとまらない
   I can't stop the lonliness
   どうしてなの 悲しみがとまらない
 メタファーの意味は明確だろうと思う。様々なモチーフがこの体系を彩っている。意味作用、オセロ、コイン、マリオネット、独身者、顔、等々。最終的に、地上のビル群は蜃気楼のように消え、<システム>の論理など存在しなかったことが明らかになる。実際、そうするには本当に簡単な手続きだけで足りるはずだ、そうは思わないだろうか?僕はほんの少しの勘違いを持ってしまっただけで、それさえ正せば元通りになるとそんな気がしているのだが、どうだろうか?――嗚呼、しかし、苦笑いが画面の向こうに見える。
 「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なのは感性ではなく、ものさしだ。」と、村上春樹は或る架空の作家の弁を借りて書いている。同様に、哲学を使って事物との距離を確認し、ボールが跳ね返ってくる角度を計算することは可能だろうか(と、言うよりは、哲学とはそもそも、そのような営みであったということができるのではないだろうか?)。
 何が僕を、哲学を自分の懐に収めることを、踏ん切りをつけ、小さなスカッシュ・コートに自己を見つけることを妨げているのだろう?…恐らく、或る一般的な恐怖だろうと思う。自分の両眼で物事を、状況を、世界を見つめることの恐怖である。僕はおそらく眼を病んでいる。僕の眼にはものごとは逆立ちをし醜く歪んだ姿でしか映らないのだ。そこで、素朴な見方というものが僕の視界の醜さを糾弾する。たぶん僕は、素朴なものの見方の力を、強く、あまりにも強く、実際以上に強く認めている。手続きは煩雑に膨れ上がることになる。見たことのない景色を、あたかも自分で目撃したかのように語ることが必要になってくる。今までの人生の中で多くの時間を、そのような演技に費やしてきた。そうすればするほど、安物のベニヤ板がひしゃげて剝がれるみたいに、自己の内に隠しがたい傷が生じてきてしまう。哲学は僕にとって、長く深く走ったそのような傷であり、人間の存在論的構造に入った致命的な亀裂であった。哲学は、世界の手前で病んだ身体のただなかで展開された、孤独な夢想であった。哲学は僕にとって、愛すべき人々への裏切りであり、自ら好んで孤独に分け入っていく不遜な好奇心だった。哲学とは一種の病なのではないか、とさえ、僕はずっと考えている。
 踏ん切りは、こういった考えをすべて払拭した地点でしか、成就されないだろう。ひとは、そもそもそれほどに正常な存在だろうか。倒錯や神経症に関する知は、その答えが否であることを証言してくれる。時間の蝶番はとっくの昔に外れたままだろうか。歴史は終焉し、動物とスノッブだけが生き延びた終末に我々は生きているということなのだろうか。何にせよ、世界の底は抜けているのである。要するに僕にとって「踏ん切りをつける」とは、自己を孤独な者として、単独者として、特異なものとして、「私的思想家」として発見することなのではないか。異常な者として、奇妙な存在として、時にひとをぞっとさせる者として生きるための倫理こそが、僕が必要としているもの、僕がそれによって辛うじて生きるものなのではないか。
 しかし、一体そのような単独者とは、いかなる人間なのか?それは自己の本性をさらけ出し、それによって孤立する者なのか、それとも自己の本性を誰に対しても隠し抜き、それによって誰にも打ち明けられない孤独の中に閉じこもる者なのか。僕は僕独自の方法を編み出さねばなるまい。僕は人当たりは悪くないとしばしば言われる(それが裏に怯えと別の本性を隠し持っているとしても)。僕は、少しだけ勇気を出して、今よりも都合の悪い人間に、支配しがたい人間になる必要がある、ということらしいのだ。きっと、それほど難しいことではあるまい。そして、目的がそのように凡庸であったとしても、皮膚の下で流れている論理は、異形のものである、ということになる。
 実際、常識との戦いかたは極めて明瞭であり、また簡単である。常識は常に未来を人質にとる。常識が繰り広げる広大さ、未来へと広がる時間の途方もなさにたいして、現在の平和を対置することである。人は時間のなかで、現在の王国を治めねばならない。

 話すべきことはまだ残っている。これで最後だ。

 ひとつ、分かったことがある。僕は美しい文章が好きだ。美しい文章を読みたいし、自分でも美しい文章を書きたい。
 入院生活で、僕は新しい趣味を覚えた。まずまっさらなノートを一冊買って用意しておく。そして文章の気に入った本を一冊選んで、その気に行った箇所をノートにどんどん書いていくのだ。シンプルながら、非常に楽しく、また能率的な作業だ。優れた文章がどういった構造を有しているのかをつまびらかに明らかにすることができるし、それに書き取ることで内容が頭にするりと入るので読書のスピードも速くなる。初めからこのような仕方で読書をしていればよかったと今になって後悔している。これを覚えていれば、『精神現象学』も『存在と時間』も『純粋理性批判』だって、きっともっとよく内容を覚えていたはずなのだ。入院生活でそうして抜粋をノートに書きとった本は四冊。村上春樹『風の歌を聴け』、ドゥルーズ『差異と反復上』、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』、レヴィナス『全体性と無限』。
 全く話が変わってしまうが、古代人たちにとってパピルスの発明は驚天動地の一大事だったに違いない。パピルスの持ち運びやすさや収納における利便性は、粘土板の鈍重さに比して比類なき魅力を放っていたはずなのだ。いつでもどこでも重要事項を書き込むことができ、そしてそれをひとつの文明の寿命以上の時間のあいだ保存できるという特性は、書き込まれたものに世界を反映するという野望を、そして書き込まれたものこそが真の世界であるといった転倒を可能にしてしまう。それはプリニウスをして「博物学」を可能にさせたし、そもそも「書物」なるものを可能にした。またパピルスに書き込まれた「死者の書」は、死者とともに棺に納められることで、ついに現世をも越えてしまう。何かを書き込むときの遍在する台紙、それが〈パピルス〉である。実際、〈パピルス〉はいたるところにある。簡単な会話もそうだし、日々の出来事を書き付ける日記や、或いはSNSの投稿なんかでもかまわない。いずれにせよ、人はそこに何かを書き付け、そしてその何かは、〈パピルス〉の表面でぼうっとした光を放つ。
 自己がデリケートな細い綱で繋ぎ止められたそうした表面、アイデンティティがその上にのしかかっているような台座こそが〈パピルス〉であれば、僕はそれを欠いていた。僕は、自分だけが決定的に、それに何かを書き付け世界に変更を加えることができないように思えたし、また自分だけが、自己のそうした基盤を欠いているように思われた。
 長い間ずっと、僕は世界と世界に生きる人々に対して無力だったと思う。いま、僕は、僕が積み上げてきた知とあと少しの捻りで使い物になるだろう諸能力を携えて、世界と渡り合っていくための準備をはじめなければならない。そのために必要になることは、極めて素朴でつまらないことから、何か特異的で胸の踊るものまで様々にある。凡庸だが、気負いすぎず、気を緩めすぎず、ということかもしれない。
 小唄を歌う老人は、病院での最後の夜、僕にこう言ってくれた。

 グッド・ラック。

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