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松野町ワンダーランド23'8/21~9/4

父が亡くなってから耕作放棄地となっていた実家。
自然の営みが見せる世界が楽しすぎて、ワンダーランド、と呼んでいます。
とはいえ、草刈りは大変。

自然農3年目の圃場

庭なみに綺麗と思う。

すこし、答え(応え)が見えてきたような気がします。
父が最後に耕したであろう畝をそのままに始めた野菜作り。
本当に無肥料・無農薬・不耕起で野菜が育つならそのプロセスが見てみたい
そして、私なんぞにできるのか、と。

四角豆が自生してきたので慌てて柵を設置。


植物本来の美しさって、根っこも含めて全草の姿なんやな。
それと、共存。
そういうのは耳にタコができるくらい、聞いた話だけれど、
実際時間軸(成長プロセス)を一緒に過ごしてきたことと、
地面を這いつくばって、3年過ごして、土の中のことも
すこし理解できるようになってきて、
生命本来の動線も見えてき始めているように思います。
知っている、ということ、それが見えてくることのリアリティのこの差。
ギリシャ哲学のいう自然・ピシュス、とか、シュタイナーのいうエーテル体とか、
言語の向こうにあるもの。
生きた線が語るもの。音楽。

どこから湧いてくるのかわからないくらい次々とみのってくれたきゅうりや、
ウリハムシをもはや飼っているのではないかとおもわれるナスの悠然とした姿。

ナスとピーナッツの茂みにうずくまってみる。

ミニトマトが取れていたのは最初の頃だけで、
あとは実るさきから、虫の食害と、雨で割れてしまうのとで、
ほとんど食べれてないけれども。
そんなことまでも、何かを語るようで、
それを読み解くたのしさと。

おのればえしてきたスイカに実がついて、そして突然溶けてなくなってしまったり。

この小さな4っつの畝のドキュメンタリー映画でもつくっておけばよかったとおもうくらい。
そしてこの冬はどうなるのかな。

自然農1年目の圃場


8・21のセスバニア

春のジャガイモがあったところに、
秋ジャガイモとネギを植えたら、春じゃがの残ったのが埋まってた。
粉吹き芋にしたらホクホクでした。

ま、傷だらけだがな。


安納芋は新芽が紫できれい。


春に畝立てしたものの、ほったらかしだった手前のところ、秋には、ベリー類を植えたい。あと、定植に失敗したアーティチョーク、なんとか来年はがんばりたい。
できれば10株くらいは育てたい。ハーブガーデンもしたい。


元気がなかったレモンが根付いたらしく、新芽がでてた。
プルーンも同じ感じ。
果樹と野菜とハーブ、できるといいなあ。
いつ、それらしくなるんかなあ。


中の圃場


ソバの芽
いちじく

ソバの種を8月末に蒔いたら、9月に行ったら、もう芽が出ていました。

コスモスは、すこし堆肥と骨粉を蒔いて、切り戻ししたら、今一つ元気がなくなってしまってて、ちょっと失敗やったかな。

コスモスの畝間にワイルドフラワーを秋に撒こうと思っています。

そのほか


杜の前の栗


上の空き地。
ジュルジュルになっていた原因は、水路の雑草の根っこだったので、それを抜いたら水も抜けた。


母の畑を耕して、高畝で通路を広くした。
これで育てやすくなるといいけど。


おくら


つゆくさ


ノコンギク


ローゼルの蕾







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音楽前夜(谷中みか)
愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!