ソーセージおじさんに感謝を...
座右の銘がある。
だってそこには米久のソーセージおじさん住んでるも〜ん だ。
あなたに座右の銘はありますか。
私のソレは、上記の通りだ。
これでは、なんのこっちゃわからない人も多かろう。
以下にその由を記す。
『だってそこには米久のソーセージおじさん住んでるも〜ん』について
私の地元では、夕方の天気予報の時分「ヤン坊マー坊天気予報」が放送されていた。
どこからどこまでの地域で流れていたかはわからないが、想像した以上に幅広い地域、また年代に認知されている。
しかし、静岡県は違うようだ。
静岡県では、食肉加工会社である米久の、ソーセージおじさんというキャラクターが登場し、これから天気予報が始まることを報せてくれる。
そこで、ヤン坊マー坊天気予報のテーマソングのようにソーセージおじさんの曲(?)が流れるのだ。
私の座右の銘はこのテーマソングの歌詞をそのまま引用している。
公式の動画がYouTubeにアップロードされているので、それを観ていただければ話は早い。
"おいしい村に行けば 明日の天気がわかります
だってそこには米久のソーセージおじさん 住んでるも〜ん"
これが歌詞の全容だ。
この歌詞に注目したい。
"おいしい村に行けば 明日の天気がわかります"
謂わばここは見出し。結論から述べる見出しだ。
これだけで"おいしい村"という地域の存在を示され、更にその村に行くと翌日の天気がわかる、という情報まで知ることができる。
合いの手の「え、本当?」という台詞の後に、天気がわかる理由が述べられ、その理由こそが
だってそこには米久のソーセージおじさん住んでるも〜ん
である。
はっきりと申し上げるに、全く理由になっていない。
おいしい村に行くと、明日の天気を知ることができる。
その理由は、ソーセージおじさんが住んでいるから。
ソーセージおじさんが、明日の天気を教えてくれるのではない。
ソーセージおじさんがおいしい村に住んでいるから、明日の天気がわかるのだ。
これだけ簡潔に言い切って尚、理解し難いこともなかなかないような気がする。
(それに、歌い出しは敬語なのに、最後は住んでるも〜んで締めるのも、狐につままれたような気分にさせられる)
初めこそそんな想いに囚われたが、何度か聴くうちに私の考えは変化した。
ものごとの理由なんて、むしろそれでいいのかもしれない。
根拠や理屈だけで、人生は進めないのだ。
答えのない問題、悩みなどで立ち止まってしまったとき、前に進めなくなってしまったとき。
だってそこには米久のソーセージおじさん住んでるも〜ん
それだけで、理由なんてそれでいいんだ。と感じられる。
これこそ"だってそこには米久のソーセージおじさん住んでるも〜ん"が私の座右の銘たる所以だ。
今後とも、立ち止まってしまったときにソーセージおじさんを思い出すだろう。
畢竟、米久のソーセージおじさんとは寓話なのかもしれない。
ビョークもビックリな寓話。
しかし何故、唐突に座右の銘の話をしようと思ったのだろうか。
まぁ、いいか。だってそこには米久のソーセージおじさん住んでるも〜ん。
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