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走れ走れお母さん

新型コロナの感染拡大に翻弄された2021年。前年初頭から続く異常事態にもすっかり慣れ、わたしと子どもはろくなお出かけもせずに息を潜めて暮らしている。
なにも自重していたばかりではない。行きつけの遊び場そのものが閉鎖ないし封鎖の措置を取られ、子どもは大好きなボールプールもトランポリンも、サイバーホイールもおあずけのまま二年近くも耐えてしまった。2019年までの日常――保育園から直帰できずに暗くなるまで公園で遊んでいた頃が遠い夢になり果てた。すべての土日祝日を使い尽くして出かけていたのが切なく懐かしい。毎週のようにお台場の科学未来館に入り浸り、たまに黒字決算の月はリニア見学センターや京王れーるランドに遠征した。クリスマス・正月・夏休みは、子ども向けの映画やコンサートを見せに劇場へ通った。いまはそんな記憶も薄れつつあるのだろう、子どもは毎朝起きるなり「そと!」と叫ぶ代わりにパソコンの前に姿勢良く腰掛け、黙って器用に機器と画面を操作して、『おさるのジョージ』か『パウ・パトロール』を観ている。
それはそれでいいのだが、かつてのソトソト期――嵐でも雪でも雨でも明け方から「そと!」と一喝し玄関を目指していた時代――はなんだったのかと呆れるくらいに、子どもはステイホーム生活に適応している。マジであの叫びはなんだったのか。
わたしは「そと!」のシャウトを聞くなり四時でも五時でも飛び起きて、すっぴんでリュックを引っ掴み、子どもを追いかけてどこまでも行ってしまった。日の出前の公園へ、駅へ、バス停へ、知らない街へ、隣県へ。誰か間に入ってくれる人がいたら、ブレーキがかかったのだろうか。
いちばん忘れ難いのは、ある師走の朝だ。幼児雑誌に同梱のDVDで《ナガシマリゾート》を知ってしまった三歳児に、午前四時頃から「ながしまなごや! なごやのながしま! ぜったい今、なごやゆうえんちいく! アンパンマンもある!」と絶叫された。名古屋は遠いよ、行ったら今日中には帰ってこられないよと十一時頃まで説得を試みたが交渉は決裂。狂ったようになごやなごやなごやなごやと泣き叫ばれ、わたしは疲弊した。公園も粘土もお絵かきもブロックもだめ、今日はもうなごやだって言うならなごや行こうじゃないのよ。半泣きでナガシマリゾート付近の安宿に予約の電話をかけ、「ホテル取れたから名古屋行こうか……」と子どもに言うと、七時間以上に及ぶ絶叫大暴れが凪いだ。けろりと泣き止み「いく。」と一言、お気に入りのぬいぐるみを抱えて土間のベビーカーに乗り込み目を瞑る。一秒で寝た。
七時間ぶりの静寂。わたしも玄関で座り込み眠りこけたい気持ちでいっぱいだったが、誘惑を断ち切り一泊分の荷物を作り、ベビーカーをそっと押して家を出た。
寒かった。遠路を思い気が重くなった。防寒具だけでも荷が嵩張った。最寄りのバス停まで歩き、バスで最寄り駅まで揺られ、駅から在来線に乗って東京を目指し、駅弁と切符を買って新幹線に乗り込んだ。子どもは新横浜を過ぎた頃に目を覚まし、「なごやは」と疑念の目を向けてきた。「名古屋に向かう新幹線に乗ってるよ……駅弁食べようか」と新幹線型をした駅弁を見せると嬉々としてベビーカーを抜け、座席に並んで腰掛けた。そして駅弁の蓋を開け、ふりかけごはんを視認するや「白いご飯じゃない。いなない」と突き返してきたので、「食べたい味はこっちよね」と想定内の拒否にそぼろ弁当を差し出せば、「かわいくない。いなない」と想定外の反応をされてしまい、このあと大荷物に手つかずの駅弁二つ持ってウロウロする羽目になったのだった。
ともあれ夕刻の名古屋駅に到着した。デカい構内のマップでナガシマリゾート行きのヒントを探すも見つからない。DVDでは名古屋って言ってたよな? いや七時間なごやなごやと叫ばれて、わたしが名古屋にあると思い込んだだけだろうか?
表示が見つからないのでタクシーに乗った。そう、東京駅から神田駅に移動するくらいの感覚で気軽に乗った。
到着したのは《三重県にあるナガシマリゾート》だった。どこで県ごと間違えたのか、今となっては検証したくもない。当月分の可処分所得をいきなり使い果たして軽いめまいに襲われながら入場する。すでに日も暮れかけている。寒風吹きすさぶ、広い広い遊園地。子どもは“お金の力で動くのりもの”の虜となり、雲ひとつない美しい夕暮れの下、安いピロピロした音楽を奏でながらパンダにくるまにバイクに乗った。
「夜になったからそろそろホテルに行こう」誘うと「いやだ」と断られた。
「アンパンマン、いく」
走り出すのを追いかける。普段はベビーカーから降りないくせに、こういう時だけ自立歩行するのなんなの。しかも速い。なんでそっちにアンパンマンミュージアム&パークがあるって知ってるの。疲れからくる頭痛に襲われながら子どもを追い掛け、敷地内のアンパンマン遊園地に足を踏み入れた。
あんな寒い夜にそんなところで遊んでいたのは、中国からの観光客二組とわたしたちだけだった。ガラガラの園内で駆けずり回り、やっと満足したらしい子どもに促され宿へ向かったのは七時過ぎ。
禁煙ルームであることを再三確認して予約したのだが、めちゃくちゃ煙い部屋をあてがわれていた。ダメ元で部屋変更を依頼したが、満室だという。周りは畑。遠くにジェットコースターの巨影が見えるばかりのあばら家で妥協するしかない。部屋の全部の窓を開け、換気しつづけた。コートを着たまま、来る途中にコンビニで買ったポケットトミカで子どもと遊ぶ。なにをやってるんだろうなあ、わたしは。
子どもは煙くもないらしく、持参したアヒルと湯浴みを終えると不満もなさげにすやすやと寝入った。わたしは子どもの寝顔から顔を背け、明日の予定を綿密に組んだ。挽回しないとただのアホ旅になってしまう。明日はうまいこと遊ばせてあげなくては。
咳き込みながら夜を過ごし、翌朝六時に起きてしまった子と早々にチェックアウトして、地元のバスでナガシマリゾートに二度目の上陸を果たした。清掃業者さんしかいない園内。だから言ったじゃん、朝が早すぎるからホテル出ても遊べないよって言ったじゃん。その意味が理解できるほど子どもはまだ大きくない。早く早くアンパンマン、と泣かれながらベビーカーで散歩し開園を待った。
家族連れがちらほら現れ列をなす頃、寝入ってしまった子どもを押してアンパンマンミュージアムに入場した。ベンチに腰掛けぼーっと周りを見渡すと、だいたいみんな家族連れ。子ども一人につき大人は二人か三人いる。子どもと大人と各一名なんてうちくらいだなあ。大人一人が場所取りや順番待ち要員を担える構造はいいなあ。うらやましいなあ。と疲れた脳みそに雑感が飛来する。あんなことやこんなことがなければ今頃わたしたちだって――とダークサイドに引き込まれかけた頃、子どもが長い朝寝から起きて叫んだ。
「なごや!」
そうだよ名古屋だ! 昨日は東京に居たのに今は名古屋にいるんだよ!(※三重県)
わたしはなんだか可笑しくなって、持ち得なかった物の数を数えるのはこれきりにしよう、と思った。子どもは今を生きていて、わたしはそれを追い掛けないといけない。感傷も無力感も後悔も死後に後回し。走れ走れ、すぐにまた日が暮れ夜が来る。あっという間に今日の子どもはいなくなる。
二度目のアンパンマンミュージアムを堪能しつくし、夕方四時に「そろそろ東京に帰ろう」と誘うと、子どもは少しグズったが、ベビーカーに入り眠ってしまった。わたしはひと安心し、アンパンマン柄のジャンパーとカレンダーを買って長い帰途に就いた。
バスで名古屋駅へ。新幹線で東京駅へ。品川を過ぎた瞬間「うんちでた」と言われて大慌てて処理をし、なんとか下車して在来線で最寄り駅へ。市バスで最寄りのバス停へ。星空の下を歩き自宅へ。しんどい旅だった。楽しい旅でもあった。
そして今。子どもは覚えていないはずの名古屋旅(※三重県)の画像をパソコンでめくり、
「なごや楽しかったよねー。ソフトクリームぜんぶ食べたし、アトラクション、ぜんぶ乗ったねー」
と誤記憶に彩られた思い出に浸っている。
「全部は乗ってないよ。コロナが明けたら、また行こうよ」
誘うと子どもは首を横に振った。
「ぜんぶ乗ったんだよ。楽しかった。つぎは違うところにいこう」
そうか、小さい子は、忘れてしまうばかりではないらしい。覚えておきたいことを心に留め、忘れたいことを手放し、夢とも現実とも願望ともつかないよきものは、括って取っておくようだ。
家に留まっている間に、おさるのジョージとパウ・パトロールが育んでくれているものも、きっとたくさんあるのだろう。
それでも、とわたしは思う。早くコロナが明けてくれ、今ならもっとうまくやれるから、アンパンマンの魔法が解ける前に、もう一度リベンジさせてくれと。
育児は正解がなくやり直しもきかない。今を、今日を、精一杯うまくやって、せめて子どもの過去を彩り続けて行こうじゃないか。走れ走れ、親たるわたし。子どもが自分でどこまでも行けるようになるその日まで。

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