認知症の人のオシャレを考える
高齢者になっても、認知症症状があれども、その人が今まで培ってきた人生が必ずある。
興味本位ではなく、その人の生活背景を大切にしたいと考えている。
何故なら、誰しもが自分の人生を精一杯生きているから・・
今だけに捉われず、その人が生きてきた尊い人生を大切にしていくことも、関わりの一つであると考えている。
認知症の程度が中等度であれども、比較的に長期記憶は最後まで残存していると言われている為、生活歴をコミュニケーションの中から引き出すことができることもある。
ある施設の介護福祉士さんの話。
アルツハイマー型認知症に罹患している影響で、病気前に愛用していたピアスはできない、興味がなくなっていると考え、片付けてしまっていた。しかし、スタッフからオシャレが好き、言葉を失いつつあるけれども身だしなみに気をつけている仕草がみられていると・・・。
ピアスを再び、見せるとピアスを装着し、表情が変化したと言う。
この話を聞いて、素晴らしいと思った。
病院のスタッフでは、この思考には至らない。
認知症の人は、生活の中で選択することができないと判断され、生活の中で選択することさえもできない環境となっていく現状がある。
私たちは、その日の気分で好みの服を着て、靴を履いてオシャレができる。
認知症の人は、入浴後の衣類のさえ、選択を求められないことも少なからずある。
認知症症状があり、判断能力や注意力低下がみられても、二者択一ならできることもある。
入院生活であれば、タンスの中の衣類を選択する、テレビの番組を選択できる、ジュースの選択など・・・何気ない日常の中にも選択できるものが溢れている。
施設ケアマネの時は、この生活の中の意思決定支援をケアプランに入れていた。
エプロンの色の選択、入浴をしたいのかしたくないのか、ホールで過ごすかベッドに横になるのか・・・など。
選択肢を提供し、選択できなくてもいい。
ほら、やっぱりできないと思う人もいると思う。
しかしながら、私たちの生活をみても、選択肢を提供されても選択できないこともあるのでないかと思われる。
生活の中で自然と選択肢を提供していくことで、初めは「どっちでもいい」と言っていた人が、「私は紫が好きなけん、これにする」と言うようになることもある。
選択肢を提供することは、その人を大切にしていますよとメッセージにもなると考えている。
そうすることで、嬉しい感情、安心感など快の感情が増大し、穏やかに過ごせられることに繋がるのではないかと思っている。
今いる院内の環境の中で過ごす認知症の人へのオシャレについて考えていこう。
高齢者だからというエイジズムの思考はやめよう。
高齢者でも、認知症症状があれども・・・