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されど情報収集

ある訪問看護師のTwitterで「情報収集って、知識がないと観察しても情報になり得ないから個人的にはすごく高度だと感じていて、たとえばラベンダーが冬に咲いているのを見て違和感を感じるのはラベンダーが夏に咲く花だと知っている人だけ。なので、自分がキャッチできていないことがあるんじゃないかと、いつもどこか不安」と呟いていた。

たしかに、そうだと思う。

ぼぉーとみてるだけでも、なにも得られない。同じものを見ても、知識の有無で得られる情報も変化してくるだろう。またこれを記録にしようとすると、得られた情報も更にこぼれていくのだろう。そう考えると、高度であると改めて思う。

患者さんの見守りも、同様であると考える。
よく転倒転落の対策で見守りの強化と記す。

見守りってなんだろう?

見守りとは患者さんを単に見ているだけでない。患者さんの状態を認識していることで、はじめて見守りといえるのだろうと考えている。

そう考えると、排泄介助時の立ち位置も変化してくるだろう。
車椅子駆動時も、健側が強く駆動してしまうので、麻痺側の壁にあたることが多いので、さりげなく、麻痺側で見守ることもできるだろう。

観察の前に、知識は必要だと改めて思う。

最近、職場のシステムが変更になり、自らでカルテから情報を得る機会が多くなった。この過程は、看護師であるならば当然であるけれども、習慣化してないと難しい。それぞれの看護師が記入しているフリーシートを覗いてみると、寂しさを覚える人も少なからずいる。

急性期でないので、状態の変化がさほどないので特段の情報は必要なく、業務をこなせる現状でもある。病院という環境は、医師や看護師が多くいるので、これでいいのかもしれない。訪問看護師はひとりで訪問し、ひとりで観察し、状態を予測しなければいけない。今だけを捉えることなく、先を見ているからこそ、情報収集の深さの気づきを得られているのだろうと思う。

人は見たいものだけを見てしまう習性がある。
固定観念や狭い視点に捉われないようにしないといけない。



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