祖母の死から学ぶこと
看護学校在学中に祖母が亡くなった。晩年は亡くなった病院に隣接している老健で過ごしていた。
祖母は夫が亡くなってから、デイケアを利用していた。質素な生活の中でも着ていく服に気遣うなど祖母の生きる世界の広がりを会話の中から感じていた。苦労ばかりの人生だったはずだから、夫を見送ったことで安心し、ひとりで楽に過ごす事ができているとばかり思っていた。
しかし、徐々に記憶障害が進行し、財布がないなどと家族でトラブルになる事が多く、両者が納得いかずに警察を呼ぶこともあったらしい。
その後、晩年を過ごすことになった老健に入所した。
面会に行くも、大人になっている私は、祖母にとっては小学生のままだった。
5分もたたないうちに小学校に通っているのか、機嫌よく過ごしているのかと問うてくる。食事前に行くと世話好きが講じて、おしぼりを同テーブルの人に配っているのだが、配っては片付けを繰り返していた。
納涼祭に行くも、大人数の場所はすぐに疲労し、居室に帰りたいという。雑音が疲れるといい、他者との会話をする事もしていなかった。
これを見るたびに、面会の足が遠のていた。
亡くなる数年は会ってなかった。
ある日、祖母が危篤であると知らせがきた。すぐに駆けつけたが、もう意識はなかった。元々、小柄で細い人だったが、ガリガリに痩せ細っていた。
私が駆けつけてから3時間後に亡くなった。人が息を引き取るのを見たのは人生で初めてだった。
数十年後、私は認知症看護認定看護師になった。
しかし、あの時の私は、祖母の話すことを全て否定していた。
認知症になっている祖母を感じた時の心情は言葉にできなかった。
今となると、あの時の祖母の想いを想像する事がある。
おそらく症状から推測すると、晩年はアルツハイマー型認知症を発症したのだろうと考えられる。しかし、症状が急速に進行した要因としても、喪失感や孤独感もあるのではないかと思われる。
長年連れ添った夫がいなくなった喪失感はどれほどのものだったのだろう。
家族の問題も抱えていて、誰にも言えない孤独感・孤立感もあったのだろうと思う。
最近、知人が認知症が進行し生活に支障が出始めている。頭のいい人でキャリアウーマンだった。その人の娘が介護しているのだが、介護の大変さは綺麗事ではないということを短時間の話でも伺える。
自分が経験しないとわからない事が多い。わかろうとしない。
しかしながら、看護師を業をしている以上、認知症の人、その家族の想いを知る努力は絶対、必要であると考えるようになった。
在宅で過ごしている認知症の人は、想像以上にいる。機嫌よく過ごしていればいいのだが、苦しんでいるけれどもどうにもできない人もいるのではないかと思う。
地域に出て、活動ができたらいいなあと漠然に考えている。
地域の人に、役立ててもらえる人間になるために、社会資源も勉強しないといけない。介護保険だけだと解決できない事が多い。
隣市の認知症看護認定看護師とも連携しながらなにかできたらいいなあ・・・
祖母との経験から今、私の世界は広がっているのは確かである。