スタッフステーションに認知症高齢者を留めておくことの是非
認知症plus身体疾患の本にこのタイトルについて記されている。
身体拘束の代替手段のひとつであるとも示されている。
特に夜間は、暗い病室から蛍光灯の眩しいスタッフステーションに患者さんを連れてくる。少しの声かけを終えると、患者さんに背中を向けてパソコンに向かう。患者さんはひとりポツリと過ごしている。
病院では目にする光景。
1)そもそも、スタッフステーションに留めておくことを認知症高齢者が納得する形で説明をしているのか?
2)認知症高齢者が、看護師のテトリーであるスタッフステーションに連れてこられた時点で、その場にいる全ての看護職に責任が生じているのかを認識しているのか?
3)たとえ拘束でないとしても、この行為における看護職の関わりが認知症高齢者にとって抑圧=禁圧(権力や威力で、無理に押さえつけて自由な行為を禁止すること)となり、身体拘束と同じ影響を与えていないのだろうか?
とも示している。
これらを思考しながら患者をスタッフステーションに留めておく関わりをしているのだろうか?と自問自答する。
認知症看護認定看護師教育過程の実習中、スタッフステーションで過ごす認知症高齢者の横に座り、時間を共有したことがあった。数人の看護師がいる中で、看護師の横に座ることを余儀なくされている、なんとも言えぬ孤独感を感じた。
記憶障害・見当識障害・理解力低下がみられていた患者さんにとって、理解できない場所でたった一人過ごす孤独は想像を絶する。少し動くと自分よりはるかに若い看護師が、荒い口調で行動を静止される。自尊心は確実に低下する。
この経験は、患者さんの視点を五感で感じることができた。こんな想いをする患者さんをなくしたいと思った。忙しい忙しいという看護師の視点では、なにも始まらない。
認知機能障害が重度になるほど、周囲の環境に対して自分の認知能力が容易にオーバーし、思考が混乱するといわれている。
看護師の出入りも多い、ナースコールも鳴る、モニター音、看護師同士の会話など、落ち着く事ができない。
「賑やか過ぎる」「脳がうまく処理できる範囲を超えた」場所であるととも示されている。
看護師の目の届く場所、看護師のテトリー=スタッフステーションでの看護についての是非を追求していきたいと考えている。
この看護をせざるをない状況であるとしても、正当化したくない。患者さんに頭を下げながら、説明をして承諾を頂いて、この場所での時間を共有していく事が必要であると考えている。
これだというひとつの関わりがあるわけでもない。しかしながら、丁寧に関わり続ける事で、答えが導き出される時がくる。この過程を言語化し、伝えていく。