自己紹介(幼少期:前編)
このところnoteで色々な方の人生を垣間見ている。
ほんの一瞬切り取った話ではあるけど、いろんな人生があるんだと思ったし、書いておくのも悪くないと思ったのでさっと書き記しておきたい。
幼少期のトラウマと夢中になれたこと
生まれたのは北海道河東郡士幌町。十勝平野の酪農の家で生まれた。
記憶はない。親の仕事の都合で川崎に住み、そこから相模原に引っ越したらしい。私の記憶はこの相模原から始まる。
小学生以前の記憶だと、ミッション系の保育園でウィンナーが食べられずお昼寝時間中ずっとウィンナーと向き合ってたことは鮮明に覚えてる。みんな寝てる中、黙って食べられないウィンナーと向き合ってた。
トラウマってこんな感じなんだろうなあと。正しさを強制した結果がこれなので、子供に対して不必要な強制はしないようにしたいなあという教訓は得ている。
小学校に上がると近所の公園で野球して、ひたすら自転車に乗っていた記憶がある。珠算にも没頭した。塾の日以外もスペースを借りて一人でひたすらそろばんをしていた。はじめて夢中になれるものと出会えた。トロフィーや賞状もいっぱいもらえた。夢中になれると本当に伸びるというのは本当だ。
<熊本>博多集合とヒッチハイク
加えて、自分らしさを形成した経験として、夏休みの記憶が大きい。父方の実家が熊本県阿蘇郡小国町、母方が北海道の士幌町(生まれ故郷)という両極端な故郷があり、そこで毎年交互に3週間ほど過ごすというのが恒例だった。
当時から鉄道が大好きだったため、1年生の時は熊本までは電車で行ったことを覚えている。親に東京駅まで来てもらって、博多までは新幹線に兄弟2人で。7歳と5歳で100系新幹線のビッフェにてカレーを食べた。
博多でおじいちゃんと待ち合わせ。もちろん顔なんか知らない。
でもホームにいるおじいちゃんは限られているのでどうにかなった。
奴留湯(ぬるゆ)温泉のある田舎。温泉入って川に遊び行って、マンガ読んで…そんなこんなで3週間過ごして両親が迎えにきた。
迎えにきた翌日、父親と親戚と山登りに行くことになった。
その途中、高所恐怖症だった私は山を下りると言い出し、そんなわがまま言うなら一人で下りろ!と言われ、ホントに一人で下りて、たまたま声をかけてくれた大人の力を借り、ヒッチハイクして住所も知らない父親の実家まで戻った。7歳、無知が故の無双。自分の子供がこれだったら怖くて仕方ないとも思うけど、何とかなるという感覚を磨きこんでいった。
<北海道>熊出没注意からの走れメロス
8歳の夏休みは北海道のド田舎で過ごした。テレビはNHKと教育テレビ(現Eテレ)しか映らない。隣の家まで1kmは軽くある。牛を見るか畑で遊ぶか食べてるしかない3週間…
これはイメージ画像ではなくリアルな牧場の一コマ。
そんなある日、山で炭焼きをやっている祖父に付いていったら車が溝にハマって動かなくなってしまった。すでに日暮れだったが、
「まさきくん、ちょっと家まで行って迎え呼んできて」
と言われ、真っ暗になる山道を駆け下りた。途中、お土産でなくリアルの「熊出没注意」の看板を見て、さらにペースを上げて駆け下りたのを覚えている。ちょっとじゃない。2kmほどの道のりだ。8歳には十二分の距離。走れメロスよろしく駆け抜けて無事迎えを呼んで、アホほどあるトウモロコシを食べたのを覚えている。
こんな夏休みが小学生の間は続いた。なんとかなるって感覚は磨きこめた。
MSXとの出会いが将来の自分を救う
また、小学生時代にPCとも出会えた。MSXという機種で、カセットテープでデータを読み書きするという今じゃ骨董品のようなPCだ。
簡単なプログラムも書いたりした。小学5~6年の担任がパソコンオタクだったおかげもあり、PC8801を初めて触り、ファミコンと比較にならない圧倒的なグラフィックに心奪われ、NECのPCも買った。
この経験は15年後のiMac購入につながり、そこから仕事を見つけて自分を救ってくれることになる。
幼少期の出会いは大人が演出することが多い。子供にはいろいろな出会いを提供してあげたいと今でも思っている。
この先、後編、そして職歴紹介につながるまでを書いていきたい。