異端の読む「エレミア」
郷里の実家に人がいなくなって、殆ど廃墟と化した古家に戻った。天井は煤け、2Fの自室は雨漏りで、蔵書は全滅していた。
屋根が剥がれたりすると、隣人が注意してくれるが、近くに住む姉が何かと援助してくれて、ありがたかった。
姉は地元の教会活動が長く、私も時折り礼拝や講義講演に行ったりする。そこで「エレミア」の講義を聴いた。
教会の機関紙に掲載する原稿を依頼されて少し考えた。もともと聖書の旧約には興味があって、「エレミア」は特に好きなパートだった。寄稿するには、教会への遠慮もあったのだけれど、概ね、次のような内容の記事を書いた。
少し語調を変更し、遠慮を取り払ってまとめてみる。
私は、東西の歴史、ファンタジーが、ほとんどオタク的に好きだ。中国の古装ドラマ「琅琊榜(ろうやぼう)」、米HBO「ゲーム・オブ・スローンズ」( GOTと略称) などは、溺愛している… と言って過言ではない。
ドラマの人物には、虚構ながら侮りがたい深い真実があり、見るたび心を打たれる。心を、持っていかれる… そういう気がする。
琅琊榜は、三国志以後の中国世界、五胡十六国、南北の時代に仮託した物語で、ファンタジー枠内で語られる設定ながら、ストーリー展開、人物設定の精彩、その巧みさに目を奪われる。
GOTは、イギリス創世七王国の興亡をベースとしたファンタジーで、LOTRにも比すべき作品だと最初は思っていたが、人物造形の複雑さが半端なく、単なるファンタジーで済まない作品だと悟った。
「エレミア」は、奪われた私の心と、その言葉に、私自身の興味に、不思議な符牒があるように思えたのだった。
エレミアが言う、嘆く。
主よ、あなたがわたしを惑わし、
わたしは惑わされて
あなたに捕らえられました。
あなたの勝ちです。
生々流転する興亡の歴史の中で、人はなぜ滅びの苦しみに逢うのか、なぜそれが必然なのか、私にはいつも人の心が良くわからない。
神が解けぬ謎であるように、人の心も、存在の意義も、解けぬ謎の一つだと思える。
それでは、思うに、魅惑に満ちて、心を捕えてやまない、琅琊榜やGOTなどの作品虚構には、どのような意義があるのか、或いは、意味などはないのか。
橘玲「スピリチュアルズ」は、そういう意味でも、最近気になって読んでいたものの一つなのだった。
「スピリット」は、魂、精霊・・等々と訳されるが、「スピリチュアルズ」は、人間が9割以上無意識の産物だと言う。
私はある種ファンタスティックな興味でこの本を手に取ったのだが、氏の論調はとても即物的で現実的、メタフィジカルな思いこみをフィジカルなフェイズに落としこんで理解を促そうとする。なるほど、こういう切り口もあるのかと新鮮な驚きがあった。
しかし、感ずるに、人と世界における、何故かと思う問いの応えは、無意識の底に深く沈み、不可解な謎として残るのではないか。
その精彩な認知は、芸術の表現に如くはないと、私などは考えるのだけれど、なるほどと思うような手応えは、稀に内と外との照応によって出現し、まま、その唐突さに驚くことがある。
芸術作品において表現者が、無意識の闇から追い求める形象を解き放つと、時にそれは輝く光のような美として顕現するのを感じる。
美は愛を喚起し、愛はどんな消耗の時にも、思いがけぬエネルギーを、生きる活力を発揚することがあり、このような情動の源泉は、彼我を分かたぬ心の深淵に潜む不思議な力の一つなのだろうと、私には思える。
神との関わりの中で、預言者の言葉として語られる「エレミア」の告白とどう違うのだろう… と思ったのだ。
不可抗力を嘆くエレミアの言葉は、思うに、とても詩的で、愛に満ちているのではないか。
愛に抗うことはできず、私は100%降参する…としか、言えないのだ。
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