2024.11.1 新月
10月何度か行ったり来たりして荷物を運び、函館の家を引き払い、旭川に拠点を移した。
正確には、引越しという手続きが苦手すぎてうまくいかず、3年住んだアパート、大家さんが無理をきかせてくださって、車に乗りきらなかった荷物を置かせてくださった。
迷惑をかけて申し訳ないなあという気持ちと、
やっぱり一人で引っ越しをすますというのは無理があったなぁと。どうしようもないなぁとおもったけど、だめだからできないというよりかは、こういうのが苦手なわたしなのだなと自覚して生きた方がいいなと思った。
わたしは、ひとりで生きていけると思っていたけれど、どうしても人手が必要なことが生きていれば起きる。ひとりでは生きていけないのだなぁと。
今回も、物が散乱した部屋を見てたら気が滅入ってしまって、なかなか進まない。思い切って友達に連絡してみたら、仕事が終わった後に手伝いに来てくれた。その次の日も、休みだったからと荷物を車に積むのを手伝ってくれた。救われた。
人が一人いるだけで、気持ちが軽くなる。楽しくなる。やる気が出る。
これを久しぶりに痛感した引越しになった。
ここ数年しばらく落ち込んでいたのだなぁと気がついた。強がって平気なフリをしていたけれど、やっぱり寂しかったのだなぁと。
誰かと一緒にご飯と食べる日常があるだけで、これだけ気持ちが前向きに過ごせるのか、、、と、じいちゃんばあちゃんと暮らすようになって感じる。
夜21時ごろ寝て、朝5時前に目が覚める。早寝早起き。いただきます、ごちそうさまでしたと手を合わせて、3食しっかり食べること。
じいちゃんばあちゃんは、薄味、柔らかいもの、辛くないもの、などいろいろな制約はあるものの、やっぱりばあちゃんはすごい。ぱぱっと作ってしまう。
元気がなくなって、最近ご飯も作らなくなってしまったり、夜フラフラしたりお母さんが泊まり込んでいたくらい心配だったばあちゃんも、ご飯も作るようになったし、豆腐作りや漬物作りも復活した。人に会いに行くことも億劫がっていたのに、じいちゃんと揃って、親戚のうちに麻雀(ばあちゃんは脳トレと呼んでいる)をしに出かけるようにもなった。猫のてんさんパワーは大きくて、じいちゃんもばあちゃんもニコニコする時間が増えた。
じいちゃんと先日二人で水を汲みに行った時、いつも口数の少ないじいちゃんが、ここ最近、ばあちゃんが大変だったんだ、病院に入れようかと相談してたんだけど、ゆりなが帰ってきてくれてじいちゃんは嬉しい、とこっそり伝えてくれた。ちょっと運転しながら涙ぐんでしまった。
旭川に帰ってきてよかったなぁと思った。
そして、今は旭川にいる間はできるだけ次の拠点の資金づくりの為に、農家バイトをしようと日雇いの農家バイトに行ってみている。トマト、トマト、トマト、キャベツ、トマト、トマト・・・と。今はもう収穫の時期は過ぎているので、ハウスや畑の片付けなどがメインだけど勉強になる。
そして、基本朝8時ごろから働くので、朝から体を動かすようになり、筋肉痛にはなるけれど身体の芯がスッとした気がする。体力がついた。疲れた〜〜〜と思うまで、身体を動かすと、なんだかすっきりすることを知った。お店をやるのも体力仕事だったけど、また違う身体の動かし方。とても良い感じ。
早く昼過ぎで仕事が終わる日は、次の拠点の場所に行ってコーヒーを飲み、ギターを弾いたり、どうやって直そうか考えたり、畑の畝を作ったりして過ごす。そして家に帰って、ばあちゃんと夕飯の準備をする。
じいちゃんばあちゃんとの生活はいいところも、慣れないこともあるけど、本当にありがたいなぁと思う。
ただ、久々にテレビのある生活をして、やっぱりわたしはテレビがどうしてもダメだ〜と思っている。10年以上テレビのない生活をしていたけど、やっぱり苦手だ。特にニュースは本当にダメで、毎日同じようなニュースを繰り返し繰り返し、頭がおかしくなるくらい同じ内容ばかり。勝手に作られた善と悪とか、くだらない芸能人の話題とか、誰かが死んだかと思えばその話題はなくなり、次に死んだ人の話題に移り変わる。どう考えても、これをずっとみていたら頭がおかしくなるし、洗脳されるなと思う。聞き流せる能力があればいいのだけれど、耳に入ったことについて、考えてしまうし、脳内に残ってしまう。そんなどうでもいいことに気を取られていたら、もっと大事な今ある時間をじっくり過ごせないように思う。
テレビがない生活は本当に本当に快適だったのだなぁと思った。何かのニュースは、誰かから聞いて知るくらいでちょうどいい。気になれば調べるくらいがちょうどいい。
勝手に切り取られて、それを何度も何度も同じように垂れ流す。物騒なことばかり。不幸なことばかり。日本はこのままだとやばい、と思い込ませているのかな?と思う。いや、本当におかしくなっているのかもしれないけど、そのニュースがなければおかしくならなかったこともあるのでは?と思ったりする。
大きなテレビと、大きな音のテレビが、唯一と言っていいほどのじいちゃんばあちゃんとの暮らしの中で耐えがたいこと。
朝起きて、風の音を聞いたり、好きな音楽を聴きながら、ご飯と食べたり、コーヒーを飲んだりしたいのだけれど、テレビからの音で1日の始まりの気分が台無しになってしまう。
テレビから逃れるためにも、次の場所を早く整えて暮らせるようにしたいなぁと思っている。
最近とてもいいのは、歌うことへ前向きになってきたこと。
ここ数年、呪いがかかっていたなぁと思う。自分でかけた呪いだった。誰かが言った言葉も、信じてしまうのはその時の自分の状態なのだから、やっぱり自分がかけた呪いなのだと思う。虚無に取り憑かれていたなぁ。
ここ最近モヤモヤしていたこと。
何か、湧き出るものを表現することは、承認欲求なのだろうか?
承認欲求でやっている人もいると思うし、わたしもそういう時期もあったと思う。でも、もっとそんなちっぽけなものを超えたパワーがあると思うのだ。
10月、たくさんのライブを見た。寺尾紗穂さん、YUKIちゃん、曽我部恵一さん、躍ってばかりの国。みんな本物だった。
先日の踊ってばかりの国、凄過ぎた。ボーカルの下津さんは圧倒的で宇宙からきた宇宙人のようにも、真人間のようにも見える、すごい人とうただった。全ての声、言葉、目力が突き刺さった。
そして、メンバーもみんな最高だった。気持ちよさそうにしている。ボーカルだけが生き生きしているのではなく、それぞれの楽器がとっても生き生き飛び跳ねたり踊ったり歌ったりしているように見えた。音楽はすごい力を持っていることを目の当たりにした。
やっぱり、わたしも超えて行きたいな、と思った。
何かを超えていないと、歌えないこと、表現できないことがある。
これは、音楽だけでなく、お店作りも、アートにも、畑仕事にも、すべてのいろんなことに共通するのではないかと思うようになってきた。
余分なものをどんどん削ぎ落とすこと。
本当に大切なことを見つけること。
自分が認められる為にやってたならもうとっくにやめている。
もう自分は自分で認めることができるようになってきたからそこはもう大丈夫だと思う。
もっと、その先にあること。
やっぱり、波紋なのだよなぁと思う。
自分にできることで、何かいい流れを作りたい。
そのタイミングにいるような気がする。
今は心に安心があって、情緒が穏やかでいられている。いい感じで呼吸ができる今、ようやくその山を登り始めたような気がする。
新月。またひとつ新しくなった感覚。筋肉痛とともに、細胞もあたらしくなっている!いいぞ〜