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20241009 深呼吸

お店を閉店、引越し、ライブなど
どっと9月、あっという間に終わり、ふうっと一息。

一度旭川に戻ったけれど、また片付けをしに函館にきた。

ひとりになったら
ものすごく久しぶりに、どっとした疲れがやって来て
心も身体も動かんなぁな感じが。
今日ようやっと少し頭がスッキリしていて
ずっと書こうと思っていたことを。

波紋珈琲のこと

9月23日に波紋珈琲の幕を閉じた。
幕を閉じて次の”はもん”の幕を開けることにした。
8月末から、来てくれていたお客さんに少しずつお伝えをしていた。9月、たくさんの方が来てくださって、自分の体ひとつではもたないなぁと思い、SNSなどでお知らせすることは控えて、最後の日を迎えた。ものすごく、充実していたし、お店をできてよかった。と思った。

お店がいいな、と思ったのは、はっきりわかりやすいこと。シンプルなこと。いいな、と思った方は何度も来てくださるようになるし、一度きりの方は一度きり。必要以上の接客をしない、媚を売らないというのもそれにはとても大事で。自分が正直に関われば、正直なお客さんが来てくださる。それがとても心地よかった。

お客さんだけでなく、昔からの友達もたくさん来てくれた。わたしは、連絡不精だし、基本自分中心に生きてしまうので、ふとしたときあぁ 、ひとりでこんなところまで来てしまったな、と、寂しくなることもある。だけど、友達には友達のペースがあるよなと考えたりして、あんまり連絡もできなくなったり。そんなこんなで、お店をやることも、友達相手に商売をしたいわけではない、というのはずっと心の中にあったので、友達に特に話したりせず勝手に始めた。ライブをあちこちでやっていた時から、ライブにお客さんを呼ばなければいけなくて、友達に声をかけるという時期もあったけれど、今思えば、なんて恥ずかしいことだったんだろうと思う。いや、全部悪いわけではないのだけど。友達だけの、うちわの集まりになるために音楽をやっているわけじゃない。だから、同じようなことはしなくないなぁと思っていた

それでも、何かで情報をキャッチして会いに来てくれた友達たち。函館の友達だけでなく、札幌とか、東京とかに住む友達が突然ふわっと会いに来てくれる。この嬉しさは言葉では表せられない。何年かぶりに会う人ばかりで。会いたいなと思っていたのはわたしだけじゃなかったんだ、ということがとても嬉しかった。疎遠になってしまったとしても、心の中に何か引き寄せられるものがあれば、会いたい時に会えるんだ、と思った。もちろん、わたしも会いたい時に会いに行こう、と思ったし、自分の場所を作って、続けることで、そこが灯台のようになって、いつでも会いに行ける場になるのだと思った。

そんな思いから、やっぱり、自分が納得のできる心地いい空間をゼロから作ってみたい。と思うようになった。せっかく自分で場所を持つなら、会いに来てくれる人がいるなら、わたしが心の底からいいと思える場所と作りたい。それをやりたいのが、地元の旭川だった。

旭川の生活

旭川に帰って1週間とちょっと。片付けをしたり、ライブがあったり、人に会いに行ったり、カフェを巡ってみたり、じいちゃんばあちゃんとコーヒーを飲んだり温泉に行ったり、農家にバイトに行ったり、まだまだ落ち着いておらず日常を探しているところだけれど、とても気がいい。

今は、実家ではなく、少し離れたところにあるじいちゃんばあちゃんの家の2階に住まわせてもらっている。一人暮らしのマイペース生活が長かったので、人と共存できるか心配だったけど、少しずつお互いの感覚を掴んで行けたらいいなぁというところ。住まわせていただけるからありがたいけれど、いつまでも子供扱いをされたりするのは嫌だなぁと思うし、集中している時にペースを崩されるのも嫌だなぁと思う。家族は家族でも、人を一人の人として尊重すること。自分がされて嫌なことは相手にもしたくないし、相手のペースも尊重したいと思う。
じいちゃんばあちゃんのペースは、ゆったりなので、あぁ 自分てセッカチなんだと気がついたり。ある時間で、できること全部やろうと詰め込みがちなのだなぁ時がつき、もっと空白の時間を持つのもいいのかもしれないなぁと思ったり。

ちょっと体調が優れなかったばあちゃんも、ちょっとずつ元気になっているのも感じるし、わたしも、人と生活すると会話が生まれてなんだか、自分のことばかりでなくなるので、いいな、と思う。
てんさんも少しずつ慣れて来ている様子。お気に入りの場所を見つけたり、人見知りで誰か人が来ても全然出てこなかったのに、今ではだいぶ人に慣れて来てばあちゃんにも挨拶するくらいになった。それもよかった。警戒心がとても強いけど、それは裏返せば心の底から安心したいってことなんだ。そして、安心できる人や場所が増えるのはいいことだと思う。わたしもそれを今探しているところだし、てんさんもがんばっている。

函館のこと

9月中はお店が忙しくて、家を片付ける余裕もなく、引っ越しが間に合わなかったので1ヶ月延長。今、家を片付けに来ている。だけど、なかなか心身ともに重くて進まない。この重たいは、9月からずーっと動き続けた反動だと思う。ふっとひとりになって、襲いかかってくる。新しいことを始めることって、大体ワクワクのエネルギーで体は軽い気がする。でも、終わったことを片付けるっていうのは重たい。いらないものを捨てたり、必要なものを選ぶこともエネルギーがいる。

だからこそ、次はじめるときは、続けるために大事に作ろうと思った。今の家に関しては一人暮らしにしては贅沢なほどいい家だった。2LDK家賃3万円。一部屋音楽室、一部屋寝室。茶の間もあるのでスペースがある。ごちゃごちゃしていると心の中もごちゃごちゃしてくるので、広いスペースがあるのはとてもよかった。が、スペースがある分物も増えてしまった。だいぶ今年の春から断捨離していたので減ってはいたけど、残り少し、なんとか片付けよう。

洗濯機とか、冷蔵庫とか、どうやって2階から運ぼうかなとか、ひとりではできないことに悩まされたり。こういう時に頼れる人がいたらよかったのだけど、昔から人に頼るのが苦手で、自分の弱さだなあと。ひとりではできないこともあるんだなぁと痛感。縁もゆかりもない場所。たくさん知り合いや好きな人はいるのだけど、ここぞという時に頼れる人がいなくって、心細い。いやいや、いないわけじゃなくて、手伝うよと言ってくれている友達もいるのだけど、友達も友達で仕事をしていたり、家庭があったりするなぁと、あれこれ考えているうちに、わたしも疲れてしまって、連絡できない、いつもそんな感じだ。
心細さ。それが函館を離れる理由のひとつでもあるし、これからは、助け合える、信頼できる人との関わりを見つけたいなと思う。誰かが困っていたらわたしも助けられる人になりたいし、助けられる余裕も持ち合わせたい。

自分の特性について

最近わかったこと、わたしはおそらく双極性障害(躁鬱)と言われるものだなぁということ。

自分では、破壊の時期と読んでいる5年くらい前にあった大きな落ち込みは、自律神経失調症でうつだったんだと思っていたけど、家族に病院に行かない方がいいと言われ、はっきりしたことはわからないまま過ごしてしまった。とてもしんどかったけど、本を読んだり、マインドフルネス認知療法というのを試したりして、なんとかいきやすくなってきたなとは感じていた。

最近坂口恭平さんの本を読むタイミングがあって、勇気づけられることがあり、いくつか本を読んで見たのだけど、その中で躁鬱についての本があり、最近気持ちが落ちてどうしようもない時に読んで見たら、いろんな辻褄があった。今まで記憶があるなかで、苦しんできたことはこれだったのかと。
本の中で、紹介していた神田橋語録を読んで、すごくふっとふに落ちた。躁鬱は病気ではなく、体質だとその中で書かれていて、その体質を肯定的に書いてくれていた。生きづらさはあるけれど、こういう体質だからできることもあるんだということ。なんだか、今までよく頑張ったなーわたし、という気がした。

大学生の時、知り合いの人で躁鬱の人がいて、とてもしんどそうだった。薬を飲んで死のうとするのをSNSにあげたり、メールで送られて来たり、心配して様子を見に行ったり。結局、わたしやわたしの友達が傷つくことがあって、離れてしまったのだけれど。ふと思い出したあの人、元気にしているかなぁ。他の人にはかけないすさまじい絵を描いていた。アーティストだった。

きっと、躁鬱体質でもいろんなタイプがいる。
鬱になって、自分はどうしようもないから、死んでしまいたい、という気持ちになることはものすごくわかる。死のうとしたことは幸いまだないけど、苦しみは何度も乗り越えて来たなぁと思う。それを、自分の中の葛藤で過ぎるのを待つ人もいれば、どうしても周りの助けが必要な人もいたり。

ふと周りを見てみれば、長く付き合っている友達はそういう体質の人が多いようにも感じる。神田橋語録では、心が弱いではなく”柔らかい”という表現をしていて、それも救われたのだけど、きっと柔らかい同士は分かり合えることも多くて自然と集まるのかなと思ったり。

坂口恭平さんの躁うつ大学では躁うつ人がどうしたら生きやすいかみたいなことも書いてくれていて、その中には、”日課を作る”ということだったり、今まで自分で見つけた生きやすい方法みたいなのとリンクするところもあって、やっぱりそうだったんだあなぁと思った。

医学的に、名前をつければわたしはそういう体質なんだと思う。
昔から、調子がいいときはものすごく元気でパワーが湧いて来てどこまでも頑張れるのに、終わったあとどっと疲れたり、落ち込んだり、波があるのをずっと繰り返していた。それじゃあいかん、と思って、最近は自分のペースを守るために、自分の心地よくやれるペース探しをしたり、不安を感じる場にはいかなくなったりしている。

昔のわたしは、元気な躁のときは、うぁーっと人に会いに行き、ライブをして、いろんな縁を広げた。でも、元気のないときは引きこもっていたので、おそらくめちゃ元気な人だな、くらいにしか思われてなかったと思う。いまはあの頃から比べたら人付き合いは悪いし、安心できる場所にしか行けないので、その頃からわたしのことを知っている人は、病んでる?みたいな感じで見えてしまうのかもなぁと思う。

ただただ、それは波なだけで、病気とか、病んでるとかではなく、元気じゃない時も元気な時も、わたしなんだなと思った。

ただ、近くで関わる人にしたら申し訳ないなぁとも思う。だからこそ、わたしはわたしのペースをしっかり淡々と生きて、なるべく穏やかな、心地の良い波で過ごせる努力をする必要がある。

波紋珈琲でお店をやってからは、基本的には自分の心地いいペースでやると決めて始めたお店だったので、いい感じの波でできたなと思った。あまり大きく波が立たなかった。体調を崩して店を休むこともなかった。イベントに出てみたり、イベントがあったり、そういうときは少し波が立ったり疲れたりして、あぁ、自分には向かないのだなぁとわかったりした。

きっと、ただただ夢中になれることをマイペースで淡々とやっているというのが性に合っているのだと思う。いやいや、きっとすべての人が本当はそうなんだと思う。でも、いろんな環境があって、どうしても制限をされたりして、我慢をすることが癖のようになってしまったり、柔らかかったはずの心が固くなってしまったり。双極性障害というけれども、もしかしたら本当はみんなそうだったけど、どんどん波のないように強制されて適応できるようになってしまっているだけかもなと感じたりもする。

自分が躁鬱の体質だからって、ざぶざぶ波を立てて周りに迷惑をかけてもいいやなんて全く思わないし、できるだけ自分も周りも心地良く生きられるようになったらいいなと思っているけれど、でも鋼の心が欲しいわけではなくって。柔らかいまま、自分を守って相手も尊重する。相手にもきっと波があることをできるだけ理解できるように努力する。それができたら、どんどん気持ちの良い関わりができるんじゃないかなぁと思う。

わたしも、生きることで精一杯だったけれど、今も落ち込むことはあるけれど、まだ戻ってこれる。そういう自分にとっての整える何かを色々見つけられたのかもしれないとも思う。
きっと同じような生きずらさをきっと持っているな、という人は直感でなんとなく感じる。すっと、心を開けるような気がしたり、同じ波長だったりする。そんな友達の顔がたくさん頭に浮かぶ。

そういう人たちが、自分の波で浮かんだり沈んだりしながらも、どうか柔らかいままキラキラできますようにと、本当に心の底から願う。お互いどうか達者でいきましょうと思う。

先日、寺尾紗穂さんのライブを久々にみた。寺尾さんの歌はそんな人に寄り添い救い上げてくれるような歌を歌っていた。静かで薄暗い時ほど響くような。きっと、寺尾さんもたくさん、葛藤されて来た方なんだろうと感じて、いろんなものが込み上げた。

わたしも、少しずつ、自分の問題と向き合って、いつかは同じようなしんどさを感じている人に寄り添えるような、場所や歌を作って行けたら良いなと思った。

ずっと感じていたことだけど、自分の体質、特性を理解できたからこそ、自分のやっていきたいこと、どんな生活をすれば良いか、などより明確になった気がする。

たまに波が立つのは良いと思う。だって、浮かんでいる時、ものすごいパワーを発揮できるのもほんとうだ。その分、疲れて沈んだりするけれど、戻ってこれるのなら良い。

例えば、自分のうたを聴きたいと言ってくれる、必要としてくれる人や場所があるなら、それはとっても嬉しいことだし、自分の波を守るために断るのは違うなぁと思う。

そのときは、その時できるパワーを使うこと。そして、そのあと休む時間を作ること。なんだか、躁鬱に関係なく、当たり前のことを書いているけれど、、、でもわたしのような人間は、調子がいいときは、まさかその後に調子が悪くなるなんて想像できず、どんどんやってしまうところがある。ちゃんと、休むことをする。そうすれば、きっと自分の波とも仲良くなれる。

波のある人と、誰も関わりたくないかもしれない、人と関わらないほうがいい、と悲観的になって、いない方がマシだ・・・と、何度も落ち込むのだけど。それでも、長い年月があっても繋がっている人がいること、見守ってくれている人がいること、本当にありがたいなぁと思う。それでも良いんだよって言ってくれる人にここ最近たくさん出会ったなぁとも思う。

わたしもそう言える人でありたい。

長くなったけれど、きっと今はわたしの人生の転機だ。

今まではふらふらとしていて、自分の居場所を探していたけれど、居場所なんてなくてもわたしが自分の居場所だとようやく思えたし、それでも、ちゃんとした血の通った人との関わりもしていきたいと思えるようになって来た。

自分と向き合うことで、自分を信じれるようになる。でも、そこに誰かがいないと、成り立たない。自分を信じれるようになったら、信じれる人と出会えるかもしれない。そこから面白くなっていくのだと思う。

人間不信になりかけていたけど、自分の中では、やっぱり信じていたいと思う。ちゃんとすべての人の中に、素敵なものがあると信じたい。どんなにひどい人も、根本は人間の弱さだったり、いろんな環境だったり、そういうのがある。

苦手な人にも心を全開で開いていく、というのは自分が持たないのでそれは難しいけれど、偽ったり、見下したりするのではなく、自分の開ける扉を調整するというか、安心できる人には扉を開く。ちょっと心配な人には窓だけちょっと開く、みたいに、自分が心地よく世界と関われるようにする。
苦手な人も、合わない人も、少しずつ自分のいきやすさを見つけて、幸せになって欲しいと思う。

そう、先日YUKIちゃんのライブも久々に見て、YUKIちゃんもそんなパッションを持っている人だ、と改めて思った。新曲の「こぼれてしまうよ」という曲の”誰の上にも見えるよ白い紙吹雪”という歌詞だったり、「プリズム」のあなたはいつもしかめ面で幸せでしょうか愛してくれる優しい人見つかると良いねという歌詞だったり。全人類に愛を歌っていると思う。

YUKIちゃんはスーパースターで、きっとたくさん大変なこともあるのに、柔らかな心のまま歌詞を書き続けている、歌い続けている、すごいなぁと思った。昔はYUKIちゃんみたいになりたいと思っていたけど、今はそう思わなくなった。背中を追いかけるだけじゃつまらない。YUKIちゃんはわたしにとっての輝く星だけど、わたしはわたしでわたしの生きるを貫いてみたい。

なんだか、今までとは違う気持ちで、センチメンタルになったりもせず、YUKIちゃんのライブを見れてよかった。

わたしは今一人だけど、一人じゃないな、と思う。
瞬く星、友達、場所、頭に浮かぶ。


新しい拠点も、相談しに行ったりして、進めそうな感じ。多分いろんな困難は色々出てくるけど、それ以上にとても楽しみでワクワクしている。心地いい波紋がひろびろと広がるようなそんな場所作り。

あぁ 、まずは、片付け、引越し、終わらせよう。

すっきりした!

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