ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied㊿
生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…
50曲目もプフィッツナー♬…ひとかけら、届くかな?
ハンス・プフィッツナーHans Ptitzner(1869-1949)作曲
まどろみはより浅くImmer leiser wird mein Schlummer Op.2-6
ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵
私のまどろみは ますます浅くなり
悲しみが震えながら
ヴェールのように私を覆っている
ときおり夢で耳にするのは
扉の外から私を呼ぶあなたの声
けれども誰も目覚めず、扉を開けることはない
私は目覚め、そして慟哭する
そう、私は死ななければならない
他の誰かにあなたはキスするだろう
私が青ざめ冷たくなったら
五月の風がそよぐ前に
ツグミが森で歌う前に
私にもう一度会いたいのなら
おお、来ておくれ、今すぐに!
ドイツの詩人ヘルマン・リングHermann von Lingg(1820-1905)の詩。
自らの死期を悟った女性の独白です。前奏冒頭のpppピアニッシッシモは意識の奥底から沸き起こるかすかな感情。そこに歌声部のメロディが一小節先駆けて響きます。それは、もはや女性の視界が定まらず、物が二重に見えてしまっている「ズレ」を音化しているようです。眠りも浅く意識が朦朧として、ただ自らを覆う悲しみKummerだけが感じられる状態。「悲しみが震えながらmein Kummer zitternd」から始まるピアノパートの裏拍(後打ち)は“震え”です。その“震え”が時に右手に、時に左手に現れるのも、女性の意識が朦朧としている様に他ありません。調性も定まらず、あちらこちらの和音を持ち寄って響いています。夢うつつの状態で聴こえてくるのは恋人が家の外で自分を呼ぶ声。「けれども誰も目覚めず、扉を開けることはないNiemand wacht und öffnet dir」のメロディーには「胸を締め付けられるようにbeklommen」という指示がついています。短く途切れ途切れ歌われるフレーズはその都度苦しみを増し、不安と相まって切迫し、クレッシェンドしてフォルテまで喘ぎのぼりつめます。ついには夢から覚め、フェルマータの沈黙の後、ポツンとポツンと鳴るピアノパートのオクターヴの空っぽの響きで我に返ります。そして絶望して泣くのです。その涙の中からまた新たな感情が生まれます。前奏と同じ響きにのせて、今度は“未来”が歌われるのです。「そう、私は死ななければならない」の「~しなければならないmüssen」は、ただただ無念であることの表れ。自らの死を受け入れきれないと言っているのに、淡々と静かに、ともすると他人事のように歌われているところに狂気を感じます。「他の誰かにあなたはキスするだろう」の「他のandre」に当てられているひずんだ音にも正気でない恐ろしさが聞こえます。いよいよ危うくなっていく意識に「五月の風Maienlüfte」がそよいできます。ここでようやくはっきりホ長調E-durというとてつもなく明るい調性が響きます。この調性は底抜けに明るい曲に使われるものなのに…。ここにも狂気を感じます。「春になる前に(死ぬ前に)あなたに会いたい」という切望がかそけく歌われます。ピアノの震えのモチーフが止んだときに歌われる「おお、来ておくれ、今すぐに!komm, o komme bald!」はまるでエコーを効かせたかのように響き、短母音のはずの“bald”が引き伸ばされています。ピアノの最後の音には「ほとんど何もなくquasi niento」という指示がついています。ただ一つのことを望んでいる最後の瞬間です。
まるでモノオペラを観ているようではないですか?白い衣を身に着けた女性がベットの上で演じ歌っているようです。恋人の声が聞こえ半分身を起こして辺りをうかがう様子は鬼気迫ります。不安と恐怖、絶望…といった感情が宙を舞っているような絵を見ているようでもありますね。 死を前に、きれいごとを口にすることなく、最後の瞬間まで切望する…。生ききる女の強さを感じるのは私だけでしょうか?
以前プフィッツナーの歌曲を歌ったときの解説から少し抜き出してみました↓ 鑑賞の参考になさってくださいませ。
ハンス・プフィッツナー Hans Pfitzner (1869-1949)
ドイツの作曲家(モスクワ生まれだが1872年にはドイツに家族で移住)。“20世紀のロマン主義”の代表とされるプフィッツナーは、モダニズムを徹底して嫌い、政治的にも文化的にも保守主義者を押し通そうとした。そのあまりに反動的な言動から、プフィッツナーはボイコット運動をおこされるなど、生涯にわたってアウトサイダーとしての人生を送った。その一方で、ワーグ ナーの流れを汲み、戦前においては非常に高く評価され、彼の音楽協会が設立され、彼のための音楽週間が開催され、また各種の勲章を受けるなど、非常に高い評価を受けてもいた。
ドイツの作家トーマス・マンはプフィッツナーの作品について「私が昔から知りつくして深い親しみを感じているもの」と述べているが、これこそ、プフィッツナーが創作の中で求めて止まなかったロマン主義にほかならなかった。彼の歌曲は穏やかで淡々とした、聴くほどに味わいが増す渋い作品ぞろいである。
人間プフィッツナーの真ん中を貫いていた「ドイツ精神」について語るとき、ともするとナチスとの関係に焦点をあてられてしまう。しかし彼が第一にしていたものは、ベートーヴェンに始まりワーグナーへと至るドイツ音楽の歴史であって、ナチズムとは無縁であったことは明らかだ。こうして純粋な音楽に、様々な歴史的事情が上塗りされてしまうことが何よりも悲しい。
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