ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied㊷
生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…
42曲目もレーガー♬…ひとかけら、届くかな?
マックス・レーガーMax Reger(1873-1916)作曲
歌曲集『 素朴な調べSchlichte Weisen Op.76 』より
お母さんの忠告 Die Mutter sprichtOp.76-28
ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵
かわいい娘よ、かわいい娘、
絶対に男の誓いなんか信じちゃだめよ
かく言う私もあなたのお父さんに
夢中になっちゃったけど!
かわいい娘よ、かわいい娘!
そりゃあ、男の人はあなたを愛するでしょうよ、
でもそれは本当に危険!
そりゃあ、優しく甘やかしてくれるでしょうよ、
でも結局釣った魚にゃ餌やらんってなるの
そんなの耐えられないでしょう!
かわいい娘よ、可愛い娘、
独身でいなさい!これが私の最良の忠告、
私が今あなたに言うことは、
ちょうど私のお母さんが私に言ったことと同じ。
かわいい娘よ、独身でいなさい!
ゾフィー・セイボスSofie Seybothセイボス (?-?)の詩による。この詩人については名前以外の情報がなく、レーガーのこの曲だけが名を残す術となっている。
さて、皆さん、前奏で聴こえてきた音楽!聞き覚えありますよね?そうです、メンデルスゾーンの結婚行進曲の一節「パパパパーン、パパパパーン、パパパパン、パパパパン…」に続く有名なメロディです。それがブチっ!と途中で切れ、対照的な とぼけた音楽が始まります。それは まるで結婚式の始まりに「ちょっと待ったー!」と誰かが乱入する場面のようでもあります。でも ここで待ったをかけるのは なんと花嫁の母親なんです!歌声部最初の「かわいい娘よ」のおずおずとした声かけから、次第に声高になって「男の言うことなんか信じちゃだめ」とフォルテで言い切り、その後「私はあなたのお父さんにまんまと魅了されちゃったけど」と面目ない様子でつけたします。次に歌われる「かわいい娘よ」の呼びかけは「私ったらなんてこと口にし始めちゃったのかしら」という母親の複雑な心情であることを 続くピアノパートが説明しています。右手にある3つ大きな下降形で、まるで「どうしましょう」×3のため息ように響き描かれています。けれども直ぐに開き直って忠告を続けるのが次のピアノパートのテンポの緩み(Meno mosso)から聴きとれます。歌声部は甘く(dolce)「そりゃあ、愛されるのって素敵だけど」そして急に早口で(schneller)「でもそれって危険!」と目まぐるしく歌われます。ピアノパートの下降形は「キケン!キケン!」と鳴り響く警告音です。さらに甘く(dolce ed espress.)「あなたの心を甘やかすでしょうよ」とフェルマータでうっとりした後は、理想の愛がガラガラと音を立てて(polternd)崩れていく様子がピアノの左手に描かれ、歌は「釣った魚にゃ餌やらんってなるなんて耐えられないでしょう!」と泣きながら訴えかけます。そして続く場面では涙を拭いて意を決した母親がついに「独身でいなさい!」とこの曲一番のボリュームでさけぶ、いいえ、歌うのです。畳みかけるように急き立てて(agitato)「これが一番の忠告よ」とじわじわとした上行形でのぼりつめると、恥ずかしそうに(verschaemt)白状するのです「実は私も私の母親に言われてたの」と。そして聴こえてくる結婚行進曲…。これは記憶の中から響いてきた母親自らの結婚式のもの。それを振り払うように最後は決然と忠告します。「独身でいなさい!」
…結婚されている方、そうでない方…果たして同意されますか?
楽譜には上記のカッコで示したドイツ語だけでなく、発想標語も雄弁に用いられ…その多くの注文に応えて初めて母親の心情がくっきり演奏できる…そんな楽曲です。それにしてもメンデルスゾーンの結婚行進曲をこんな風に使ってしまうだなんて なんて面白いのでしょう。こんな大胆な引用はシューマンの献呈のAve Maria(←シューベルトの)のフレーズを越えているのではないでしょうか?
私事ですが…
私の父は本当に子煩悩で、私は溺愛されて育ちました。そして幼い頃から将来の不安を感じていました。もし私が結婚したいと言ったら果たして父は許してくれるのだろうか?と。そしていよいよ そういったタイミングが近づいたとき、まず私は祖母に、そして次に母に相談しました。祖母は「亜希子は歌ばかり歌って歳をとってしまってと心配していたところ。そういうお相手がいたのなら良かった良かった。お父さんにはしばらく内緒にしておくよ。」と言ってくれました。そして母にはなんと忠告というかアドバイスというか…真顔でこう言われました。「もしお父さんに結婚を反対されたら、二人して逃げちゃいなさい」と。これが私の「お母さんの忠告」でした。
前回のドイツ歌曲の楽しみFreude am Lied㊶に載せたものと同じですが、レーガーについての解説を以下に張り付けてみます。よろしければ参考になさってくださいませ。
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マックス・レーガーMax Reger( 1873 - 1916 )
ドイツの作曲家。バッハ以来沈滞していたオルガン音楽を発展させたレーガー。多作家で知られ、歌曲も300曲以上残している。兵役についたころから過度の喫煙飲酒にはまり、除隊後、本格的に音楽の道へと進み、演奏・作曲活動に追われ、過労が原因で(肥満とニコチン中毒が原因とも)43歳でこの世を去る。身長が約2m、体重は100kg以上あった彼は、悲しいかな別の意味でドイツ最大の作曲家といわれている。
彼の作品は拡張された和声と複雑な対位法からなるものが多く、当時も“晦渋な作風”とされていた。歌曲集『17の歌Siebzehn Gesänge Op. 70 』はレーガーがエルザという生涯の伴侶を得た1902年に作曲された。この年はレーガーの「歌の年」といわれるほど多くの歌曲が作られた。エルザとの暮らしのために曲を書くのだが、どれも複雑過ぎて売れる見込みのないものばかり。出版社からの「一般の人に好まれるものを(売れるものを)」との注文を受けて作られたのが歌曲集『 素朴な調べSchlichte Weisen Op.76 』(1903-1912作)であった。民謡風を目指し、表現と技術に気をつかって作ったつもりだったが、彼の本来の才能は、意図した「素朴」とは異なる、「素朴へのあこがれ」となって現れてしまった。全部で60曲からなる歌曲集なのだが、ヒットしたのは「マリアの子守歌 Mariä Wiegenlied Op.76-52」1曲だけだった。他にオルガンやピアノのための作品、そして室内楽と様々な分野の楽曲を書いては出版社に持ち込むのだが、断られる一方。そんな彼を救ったのが当時の音楽界のスーパースター、リヒャルト・シュトラウスRichard Strauss(1864-1949)だった。ミュンヘンやライプツィヒの出版社にレーガーを推薦してくれたのだ。シュトラウスだけでなく当時の主だった音楽家たちは、音楽会でレーガーの作品を積極的に取り上げたり、音楽学校の職を世話したりと、彼を長年にわたって支えた。そのお陰で次第に彼は「彼の家は鉄道だ」と言われるほどヨーロッパ各地を飛び回る売れっ子の音楽家になり、1910年には最初のレーガー音楽祭が開かれるまでになる。しかし仕事のストレスと飲酒がたたって1914年に倒れてしまう。静養するために人生で初めて持ち家をイエナに持ち、その静かな暮らしの中書かれたのが歌曲集『5つの子供のための新しい子供の歌 5 Neue Kinderlieder Op.142』。レーガー夫妻には子どもはなく、孤児だった女の子二人を養子としてむかえ育てた。彼女たちにどれだけの深い愛情が注がれたのかが、この曲集からうかがえるだろう。