ドイツ歌曲の楽しみFreude am Lied*57*
生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…
57曲目はプフィッツナー♬…ひとかけら、届くかな?
ハンス・プフィッツナーHans Ptitzner(1869-1949)作曲
打ち明けVerrat op.2-7
ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵
スイレンは小さく笑ってこう言う。
「みんなに打ち明けなければならないことがあるの
昨日の夜2人の若い恋人たちが何をしたかを
打ち明けなければならないの
彼らはいとこや親戚たちと
川を下ってやってきたの
2人はとてもお行儀よく静かに座っていたわ
ボートには耳を澄ましている人が他にいたからね
彼女はドキドキする脈を鎮めようと
川の水に手を浸したの
彼もそのとき、同じようにしたの
ちょっと水の温かさを知りたくてね
すると水の中でお互いの手が出会うの
こっそりね
そして逃げたり捕まえたり
この遊びは尽きることがなく続くの
親戚たちは全然気が付かないの
幸せな愛のひとときのことを
でも私は盗み見ちゃったのよ
その戯れを水の底からね」
ドイツの詩人&民俗学者カウフマンAlexander Kaufmann(1817-1893)による詩。
親戚たちと一緒にボートに乗って川を下ってきた少女と少年…水に手を差し入れ戯れる二人の様子に気付いたのは傍らに咲くスイレンだけ。そのスイレンが打ち明ける小さな恋のお話しです。
楽譜の最初にある発想標語は“Schnell早く”…。(プフィッツナーさん、言ってくれますね~。)これだけで打ち明け話をするスイレンのキャラクターがわかりますよね。第1節は「ねえ、みんな聞いて聞いて~」のプロローグ。水音がパシャパシャする様子のピアノのスタッカートに誘われて始まる陽気なメロディーの歌声部は、しゃくるような跳躍がチャームポイント。「2人の若い恋人たちZwei junge Verliebte」の三連符はスイレンが身を乗り出して注目を集めている様子が目に浮かぶ場面です。川の流れが瑞々しく奏でられる間奏に続く第2節は、3連符の連続の超早口ゾーン。それはまるで実況中継をしているようで、臨場感たっぷりでぐんぐんお話しに引き込んでいきます。お互いに意識し合っているけれど、周りの親戚たちの目を気にして、知らん顔しているところです。「とてもお行儀よく静かに座ってmit auferbaulichen Sitten」のアクセントは彼らの心情を見て取っているスイレンの得意げな様子です。そこに重なって始まるピアノパートの三連符は休符が効果的に使われ、水のきらめきを表しています。第3節では高鳴る気持ちをおさめようと水に手を突っ込む少女と、本当はその手を取りたくてたまらないのに、さて、お水はどのくらい冷たいのかな?なーんてごまかして同じように水に手を差し入れる少年が描かれています。かわいいですよね。「脈Puls」と「同じときZeit」に当てられた高めの音がスイレンの滑稽な話ぶりを彩っています。そしていよいよ二人の手が触れ合う第4節では、その様子を固唾をのんで見守る緊張感がピアノの三連符がレガートに変わって表されています。さわったり、さわらなかったり…のくだりでは、鋭い水音がパシャッ、パシャッと響くのがピアノの右手に聴くことができます。こんな風な遊びがずっと続いて~と「尽きることなくkein Ende」が2点イ音Aで嬉しそうに歌われます。そして第1節と同じ音型の第5節はエピローグ。第1節と同じメロディーで「でも誰も気づかなかったのよー」と歌われますが、「私以外はね!」でメロディーは柔らかく展開し、最後は得意げにキャピッと、でも満足気に終わります。ピアノパートに終始鳴り響く水音が印象的な曲です。
以前プフィッツナーの歌曲を歌ったときの解説から少し抜き出してみました↓ 鑑賞の参考になさってくださいませ。
ハンス・プフィッツナー Hans Pfitzner (1869-1949)
ドイツの作曲家(モスクワ生まれだが1872年にはドイツに家族で移住)。“20世紀のロマン主義”の代表とされるプフィッツナーは、モダニズムを徹底して嫌い、政治的にも文化的にも保守主義者を押し通そうとした。そのあまりに反動的な言動から、プフィッツナーはボイコット運動をおこされるなど、生涯にわたってアウトサイダーとしての人生を送った。その一方で、ワーグ ナーの流れを汲み、戦前においては非常に高く評価され、彼の音楽協会が設立され、彼のための音楽週間が開催され、また各種の勲章を受けるなど、非常に高い評価を受けてもいた。
ドイツの作家トーマス・マンはプフィッツナーの作品について「私が昔から知りつくして深い親しみを感じているもの」と述べているが、これこそ、プフィッツナーが創作の中で求めて止まなかったロマン主義にほかならなかった。彼の歌曲は穏やかで淡々とした、聴くほどに味わいが増す渋い作品ぞろいである。
人間プフィッツナーの真ん中を貫いていた「ドイツ精神」について語るとき、ともするとナチスとの関係に焦点をあてられてしまう。しかし彼が第一にしていたものは、ベートーヴェンに始まりワーグナーへと至るドイツ音楽の歴史であって、ナチズムとは無縁であったことは明らかだ。こうして純粋な音楽に、様々な歴史的事情が上塗りされてしまうことが何よりも悲しい。