ドイツ歌曲の楽しみFreude am Lied*60*
生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…
60曲目はツェムリンスキー♬…ひとかけら、届くかな?
アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーAlexander von Zemlinsky(1871-1942)作曲
湖は不安げに水嵩を増しNun schwillt der See so bang
ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井理恵
湖の水嵩がゆるやかに増す
不安げに けれども優しく
青い岸辺から夜に向かって
歌が立ち昇っていく
私の舟は流れに乗って漂う
すると私の心が上へ上へと舞い上がる
オーストリア、ヴィーンの詩人ヴェルトハイマーPaul Wertheimer(1874-1937)による。
夜にどうして一人ボートで湖にこぎ出したのでしょう?6連符の連続のアルペジオは滑らかに揺らめく湖の水面です。じっと目を凝らしていると水面張力のように膨らんできます。不気味ですよね、“so bangとても不安”と、長い倚音を使って緊張感を醸し出しています。続く“so zärtlich sacht優しくそっと ”もエコーのように響きます。次の瞬間、ピアノのアルペジオが明るく浮上し始めます。遠く見える岸から“Gesang歌”が立ち上り始めます。物凄く詩的ですね、おそらく霧を目にしたのでしょう。美しい夜の湖に魅了されて、感嘆のため息のように歌声部は上行形で歌われます。そして間奏のピアノの右手の動きに感情のオールを引き渡します。風が少しでてきたのでしょう、右手のオールの揺らぎのモチーフは続きます。第1節と同じように展開するには2行少ない第2節は、急激に浮上を始めます。ピアノパートの6連符も休符を効果的に使って、小刻みに立つさざ波を表し始めます。これまで遠くに走らせていた視線が足元、つまり自分のボートに移るのです、足元ほど小さい波を感じるものですよね。ピアノパートにふっと現れる一拍分の休符が耳を傾けるこちら側の注目をぐっと集め、まるで一緒にボートに乗っているかのような臨場感をもたらします。歌声部は最終行を1オクターヴという広い音域を順次進行でじわじわと上行して「上へ上へと舞い上がり」ます。期待に胸を膨らませているのか、これから起こる何かへの緊張か、心が高揚して、再び視線を夜の湖を広く見渡す様子がピアノパートの後奏に描かれています。
不安と期待が入り混じる感情を切り取ったような曲ですね。謎めいてはいますが、景色ははっきりしているので、尚更「切り取った」ように聴こえるのだと思います。人は往々にして突拍子もない行動にでるものです。この曲もその一つなのではないでしょうか?
✻アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーAlexander von Zemlinsky(1871-1942)✻
ウィーン生まれの作曲家。両親はユダヤ教。ブラームスがシューマンに見出されたように、ツェムリンスキーはブラームスの有力な後押しに恵まれた。マーラーにも才能を認められ、作曲活動の他、ウィーン、プラハ、ベルリンなどで指揮者として活躍する。またシェーンベルク、エーリヒ・コルンゴルト、そしてマーラーの妻となるアルマ・シントラー等に作曲を教えた優秀な教師でもあった。(ツェムリンスキーとアルマとは恋仲であったが、結局アルマは当時スーパースターであったマーラーを選び1902年に結婚してしまう。)ナチス・ドイツの台頭に伴い1938年にはアメリカに亡命を余儀なくされ、英語の話せないツェムリンスキーは見知らぬ土地で病気がちになり、1942年ニューヨーク州ラーチモントで肺炎のため逝去する。彼の作品は感情に溺れることなく冷静な計算と客観性で組み立てられていて、後期ロマン派を一歩踏み出した知的な作風を示している。