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ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied㊱

生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…

36曲目はコルンゴルト!…ひとかけら、届くかな?

コルンゴルトErich Wolfgang Korngold(1897-1957)作曲
3つの歌曲 作品22(3 Lieder Op.22)より
私にとってあなたは?Was du mir bist?

                 ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵


私にとってあなたは何?
それは美しい風景を眺めるようのもの、
そこは果実を実らせた樹木が立ち並び、
泉のほとりに花々が咲き乱れている。

私にとってあなたは何?
厚い雲をも貫き通す星のまたたき、
暗闇の中話しかけてくる遠い光の輝き、
「おお旅人よ、諦めないで!」と。

私の人生は諦めばかりで
喜ばしい運命は輝きかけてはくれなかった-
私にとってあなたは何?と、まだ訊いてくれますか?
答えは“幸せ”です。

女流詩人エレオノーレ・ファン・デア・シュトラーテンEleonore van der Straaten(1845年-?)の詩。

「私ってあなたにとって何なの?」なんて訊かれたらぎょっとしますよね。安心してください、この曲はその逆です。「私にとってあなたは何かというと…幸せそのものです」という平和な愛の歌です。
 キラリと響くピアノのアルペジオで始まります。「ああ、今この瞬間 幸せだなぁ」という感情の閃きです。歌声部は深呼吸のようなメロディで「私にとってあなたは?Was Du mir bist?」と続きます。幸せのため息ですね。感動が湧き上がってはゆっくりと満足げに下降する…。このメロディラインは楽曲中ずっと、ピアノパートでも歌声部でも繰り返されます。特にピアノパートは歌声部のエコーのように幾重にも重なって、たくさんの♡マークのように空間に漂い響きます。第1節の最初の答えは「美しい風景を眺めたときの新鮮で平和な感情をもたらしてくれる存在」です。その風景が目の前に横たわる様を限られた低い音域で、速度を増して詳しく描写しています。よりきらめきを増したピアノのアルペジオで問われる第2節は「どんなに暗い悩みをも晴らしてくれる星のきらめき」が答えになっています。はるか遠くの天空と地上の自分を結ぶ拡大された空間…。そこを隈なく歌声部で埋めるような音の跳躍と柔らかいメリスマが印象的です。一方「おお旅人よ、諦めないで!O Wanderer,verzage nicht!」は低い声で優しく話しかけるような音色です。第3節では問いかけの前に、暗い過去を振り払うかのように切迫した音楽が挿入されています。続く問いは、それをばねにしたかのように高音を用いて歌われます。その答えがあまりに素晴らしいからでしょう、挑発するように、「まだ訊いてくれますか?Kannst Du noch fragen?」と誰にともなく質問を促しています。その訊きっぷりといったら!“kannst”にあてられたフレーズのfrech(生意気)なこと。そして満足気にゆったりとした答えが歌われます。“Mein Glaube an das Glück”の“Glaube”は「信念」とか「信仰」とか訳されます。「あなたは私が幸せを信じる根拠です」つまり「あなたは私の幸せそのものです」が最後の答えです。コルンゴルトの真骨頂と言える強靭にしてしなやかな旋律が、とてつもなく大きな幸せを雄弁に語っている曲です。


 以下に以前この曲の入った曲集を歌った際書いた解説の一部を張り付けてみます。詩人&作曲家について知ることは、曲の“生まれ”を知る一つの手段。“生まれ”を知ると、その曲との距離がぐんっと縮まって仲良くなれるのです。​

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エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト Erich Wolfgang Korngold(1897年5月29日生 1957年11月29日没)
 「モーツァルトの再来」と言われたほどの神童で、9歳のとき作曲したカンタータはマーラーをも驚愕させ、30歳を前にすでにヨーロッパで名声を確立していた。しかしユダヤ人だった彼は、ナチスの台頭によりアメリカへ亡命。それ以後は主にハ リウッドで映画音楽の作曲家として活動した。
 オーストリア=ハンガリー帝国領モラヴィア地方ブリュンで生まれる。父親のユリウスは音楽評論家で、エーリヒの幼い頃から彼の音楽教育を慎重に進めていた。保守的な父の誘導で前衛的な方向に進むことなく作曲をしていたエーリヒだったが、後期ロマン派の複雑きわまる調性音楽が溢れていたウィーンの街の空気を吸って育った彼の音楽は「始まり」から成熟していた。11歳のときのデビュー作、バレエ音楽《雪だるま》はその完成度の高さに、「実は父ユリウスが書いたのではないか」「師であるツェムリンスキーの作ではないか」という噂がでるほどだった。1916年にはワルター指揮で2つのオペラが初演され、プッチーニの絶賛を浴び、1920年初演のオペラ《死の都》で名声を不動のものにした。まだ22歳であった。しかし1923年、結婚を前に定収を得るため始めたオペレッタの編曲、そして友人の勧めで1934年から始めたのハリウッド映画音楽の作曲を境に評判に陰りが出始める。彼の心は常に純音楽にあったのだが、ハリウッドでやむを得ず書いていた映画音楽は《風雲児アドヴァーズ》《ロビンフッドの冒険》でアカデミー作曲賞を受賞した。戦後本格的に純音楽に復帰し《ヴァイオリン協奏曲 作品35》《交響曲 作品40》など傑作を生み出すが、「映画音楽作曲家」としてのレッテルは剥がれることはなく、夢にまで見たウィーン帰国も失敗におわる。「ウィーンの神童」はカリフォルニアに帰り、1957年脳溢血で死ぬまで不遇の晩年を送った。
 《ピアノ・ソナタ第2番作品2》にあるように、コルンゴルトがピアノを扱うと、それは常にシンフォニックな書法を取った。彼にとってピアノはオーケストラだったのだ。 こうしたドラマティックな管弦楽への志向は、歌曲にも見て取れる。叙情的なメロディ、ふくよかで華麗な和声、心地好いテンポ…、この甘美な世界こそコルンゴルトの音楽なのである。

✵ 3つの歌曲 作品22 / 3 Lieder Op.22 ✵  
1928-29年作曲。1930年元日に初演されている。この歌曲集は母親ヨゼフィーネに献呈されている。
・君は私にとって?/ Was Du mir bist 女流詩人エレオノーレ・ファン・デア・シュトラーテン(1845年-?)の詩。
コルンゴルトの真骨頂と言える歌声部のライン。強靭にしてしなやかな旋律が拡大していく。
・君とともに沈黙する/ Mit Dir schweigen カール・コバルト(1876-1957)の詩。半音階的手法が巧みに使われて、題名とは裏腹に雄弁に語られる歌。
・世は静かな眠りに入った/Welt ist stille eingeschlafen 同じくカール・コバルト(1876-1957)の詩。先鋭的な響きとロマンティックな情感がうまく溶け合っている曲。




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