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曲紹介『アモルとプシュケ』

天使ママへ。

アモルとプシュケ
詩/曲:大塚雄哉

まどろみに腫らした瞼の隙間に差し込む光
誘うように揺れていた窓辺 笑って今日も手を振るの
おとぎ話の魔法はなくても 確かめる術はなくても
そこにいると思えるから
痛むだけじゃなくて、優しい風

離れていたって、つながっていること
呼吸のように寄せて返す戸惑いよりも
どうか、どうか微笑みを
天使に、今は微笑みを

つつがなき暮らしに灯りを わずらう夜には祈りを
流れる季節と同じだけ あなたをここで見守っている


いつか生まれかわって、違う時間の中で
誰かと手を取りあうことでしょう
その時はそっと花束を
たおやかに揺れる撫でし子の花を添えて

やさしいキスをして、頬をなでて
夢じゃないあなたを抱きしめたくて
そう思うほど、思えるほど
愛おしい気持ちを授けてくれたの
ありがとうと言いたくて
でもまだ少しだけ 小さなあなたのままで
いたずらな天使のように、こぼれるほどの微笑みを


まどろみに腫らした瞼の隙間に差し込む光
あなたが生きた証だから 喜びも連れて、笑えるの


■おおまかな話

『アモルとプシュケ』は2023年1月に完成した曲です。
メロディは2022年9月にはほぼできていて、そこから歌詞がなかなか書けず、クルシミクルシミ仕上げました。

以前投稿した『スズの兵隊』の記事の中でこんなことを書きました。ここら辺について少し丁寧に記せたらなと思います。

今回の作詞を通して、詞のコンセプトを決めたらそこから複数視点で情報を集め、広げ、最終的に一つの物語に集約する感覚がつかめてきました。
この感覚はもう少し時間が進んで『アモルとプシュケ』という曲で昇華されます。


■作る話

⚫︎詞の話

『スズの兵隊』を通して、自分にとっての作詞という行為が"物語を描く"という方向にシフトしていました。元からそんな感じあったけど。
曲中に描くのはワンシーンであっても、その背景にある物語をきちんと意識するということ。

けど物語って0から簡単には作れないのです。
だから手を挙げてもらうことにしました。
SNSで、音楽で背中を押してもらいたい方を募集させていただきました。

手をあげてくれたのが友人のAさん(仮)です。
手をあげてくれた時点でテーマとなる物語も分かりました。

「天使ママ」の背中を押してほしい

‘‘お子さんを授かりながら、お腹の中やお産の時にこの世に生を受けなかった、もしくは短い一生だったお子さんを授かったお母さんを「天使ママ」と呼ぶそうです。‘‘

引用:池川明の胎内記憶より

Aさんは現在、自身の経験を通して、天使ママも含めた母親・育児支援に取り組んでいます。

あえて砕けた言い方をするんだけど、手を挙げていただいとき「おっぉーマジかぁああぁ」って思ったんだよね。

そのテーマを描く自信は、全く無い。
けれど手を挙げてくれた想いに応えたい。
そうやって作った曲がAさんの人生に流れる音楽になってくれれば、それは僕が音楽で実現したいこと。
落ち着いて、過去の自分の楽曲を振り返って、Aさんとの今までの交流なども思い出しながら、「たぶん、できる」って思いはじめました。

Aさん自身、そしてAさんが支えようとしている天使ママみんなに届ける歌を作ろうと決めました。

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◆インタビュー
まずAさんからお話を伺いました。
経験のない、かつ男性の僕が物語を想像してもまったく説得力がないから。

しかし今思えばこんな深い話をなぜコメダ珈琲で聞こうとしたのか
これは結構ちゃんとAさん、ゴメン٩( 'ω' )و

席で向かい合い、話を伺いました。
お腹に赤ちゃんを授かってから、悲しい別れに至るまで。
その後の葛藤、苦しみ。
そして我が子との在り方を定め、前を向くと決めたこと。
具体的なエピソードを交えつつ、丁寧に言葉を紡ぐAさんが印象的でした。

会話の中で感じたのは「強くあろうとすること自体の強さ」です。
現実と向き合い、"どのような選択"もあり得る中で、笑顔で前を向くと決めたということ。
話している間も笑顔でした。笑顔であろうとしていたのかもしれません。しかし、僕に笑顔が見えていた、という事実が彼女の母としての強さの表れだったんだと思います。

この儚い強さを表現したい、そう思いました。

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◆ストーリーを考える
曲のテーマは "天使ママの背中を押すこと"です。
ではストーリーはどうする?
第三者や男性目線だとどうしても客観性が入ってしまいます。客観には多少なりとも論理性が求められます(論理性のない客観もゴマンとある)。
しかし今回のストーリーにおいては論理よりも、論理を乗り越えるような感情が大事だと感じました。
なので視点は天使ママ自身の目線。天使ママ自身が何を見て、感じているのかを中心にして、そしてそれを補う描写を挟むようにしています。

では天使ママの背中を押す感情表現とはどのようなものでしょうか。
まずいったん状況をまっさらにして、一般的に子を思う親の気持ちとは?を想像します。
子を思う親の気持ちとは、時間と共に変化するものだと思います。
それは小さな子どもを「守り」、成長とともに後ろから「支え」、大きくなった我が子を「見送る」というものじゃないかなと、僕は思います。

一方、子どもを亡くした親の気持ちはどうでしょうか。
「忘れる」「立ち直る」といった言葉が浮かんだものの、違うと思いました。
なぜならあの時お腹の中で確かに繋がっていて、そして仮に今も魂として存在するならば、忘れたり、それ自体から立ち直るというものではないと思うからです。

また「存在する」ということは、そこからまた成長することを示唆します。やがて生まれ変わり、新たな世界へ踏み出していくんじゃないか。

なら、一緒だ。
我が子を感じ、日々を送り、いずれ見送るのだとしたら、先に述べた親の想いと一緒じゃないかと思いました。
生まれ変わり大きくなった我が子は、やがて誰かと結ばれ、愛を育み家族を築いていくでしょう。
そう思えたときに、我が子を見送ることができるのではないか。

そんな感情の流れをストーリーにすることで、天使ママの背中を支えられたらという思いを込めることにしました。

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◆モチーフを考える
①天使とは?
さて、前述のストーリーだけで十分に作詞はできると思います。
けどもう少し、詞の背景、独自性、深みを構築したい。なのでストーリーの柱になる"モチーフ"を考えることにしました。

この曲に最もふさわしいモチーフは"天使"です。
ではそもそも天使ってなんでしょう?
色んな物語で多様に登場する天使ですが、実はよく知りません。
なのでまず天使について調べることにしました。

天使とは神の使い、神の言葉を人間に届ける存在です。
今でこそ天使といえば"翼の生えた子どもの姿"が想像されますが、意外なことに聖書や初期の天使は大人の姿で、翼もありませんでした。

大天使聖ミカエル[Wikipedia] ※これは翼がある

おやおや、では一体いつからお子さまに?
一説では、"翼の生えた子どもの姿"をした天使は、愛の神キューピッドを模したものであると言われているようです。

〔ルネサンス期〕
神エロス(※キューピッドのこと)の愛らしい幼児姿を原型として、神の使いの「天使」が描かれる。
二者の違いは、弓矢を持っているか否かというところで見分けるほかないほどに、その姿は類似し、
次第に天使がクピド(キューピッド)といい表されるようにもなり、両者が混同されていく。

松村一男 監修(2011) 『図解 ギリシア神話 歴史がおもしろいシリーズ』(西東社)

"愛の神キューピッド"
これもまた、普段マスコットなどで目にすることはあれど、詳しくは知らない存在です。

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②キューピッドとは?
キューピッドとはローマ神話の愛の神です。
別名をクピドやエロス、アモルといいます(以下「アモル」とします)。

アモルはいたずら好きな愛の神です。
神話上のアモルは大人です。しかし、その純粋さを表現するために次第に子どもの姿でも描かれるようになったといいます。
それが数々の宗教画を経る中で、天使と混ざり、天使も子どもの姿で描かれるようになったそうです。

アモルは神話「アモルとプシュケ」の中で語られます。僕は「アモルとプシュケ」について調べました。

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③神話「アモルとプシュケ」
これはアモルとその妻プシュケが苦難を乗り越え、最後は真の愛で結ばれる物語です。
ザクーっと言うとこんな感じ(でも長い)

  • 女神ヴィーナス、べっぴんプシュケの美しさに嫉妬。
    息子アモルに「あんな奴チー牛と結婚させよ」とトンデモ指令を下す。

  • 恋する矢を携えたアモル、誤って自分に刺す。どういう状況?
    プシュケにフォーリンLOVE。

  • アモル、プシュケに正体を隠して夫婦生活開始。
    正体明かせないので「オイラの顔は内緒だよ」と謎の約束。

  • プシュケ、アモルの寝込みに約束破って御尊顔を拝見。アモルぴえんして逃走。

  • 旦那の逃走にプシュケ カナシミ。そこに黒幕ヴィーナス登場。
    息子に会いたきゃ4つの試練を乗り越えな(少年ジャンプ展開)

  • プシュケ、周りの支援を受けながら3つの試練をクリア。
    しかし4つ目で失敗。ヒロイン 冥府の眠りにつく(少年ジャンプ展開)

  • アモル、実はプシュケをこっそり捜索。
    しかし見つけたときプシュケは深い眠りに。

  • アモル、母ヴィーナスにプシュケとの永遠の愛を誓う。
    ヴィーナスにっこり。2人の愛を認めプシュケ復活。

  • 2人の間には子どもも生まれ、そして永遠に幸せに暮らした。めでたし

こうやって書くと神話の荘厳・華麗さが99%失われるので、詳しく知りたい方はこちらもご覧ください。

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④プシュケとは
さて、「アモルとプシュケ」に登場したプシュケについても。
プシュケは絶世の美女として語られ、元は人間ですが神話を通してやがて神となり、そして母にもなる存在です。
ただ僕がプシュケについて最も印象に残ったのは、「プシュケ」とは古代ギリシャ語で、"生きること、心・魂"を意味する言葉であることです。

それを知ったときに僕はそれなりに長かった歴史、物語、言葉の探究を終えることにしました。
それまでに知ったこととそれらの考察をつなぎ合わせて、僕はこう思いました。

亡くなった我が子とは、天使≒アモルであるとともに、今も魂として存在するプシュケでもあると言えるのではないか。

僕が歌おうとしている天使とは、アモルでありプシュケである。
そこからこの曲のモチーフ、および曲名を『アモルとプシュケ』に決めました。

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④アムールとプシュケー、子供たち(絵画)

曲名を決めてから、もう少しだけ掘り下げました。
というのは、この神話をもとにした絵画が多く存在し、とりわけウィリアム・アドルフ・ブグロー作『アムールとプシュケー、子供たち』に目を惹かれたからです。

この絵画では、幼い姿のアモルとプシュケが緩やかな抱擁と軽いキスを交わす様子が描かれています。
アモルとプシュケが、これから成長していく無垢な子どもとして、また愛しあい家族を築く二人として描かれたこの絵は、この曲のイメージそのものだと感じました

なお、この絵画はさる事情で誤って「ファーストキス」という名前で知られていました。
そこからこの曲もしばらく仮題を『First  Kiss』としていました。そのため曲の大切なところに「やさしいキスをして」という表現を使っています。

実際の歌詞に神話の要素はほとんどありません。
しかしながら曲名およびモチーフを「アモルとプシュケ」にしたことによって、作曲とひとつひとつの言葉選びに大きな影響を与えています。曲については作曲の話で。

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長くなった詞の話ですが、もう少しだけ。

実は「我が子を見送る」具体的なシーンについては考えが行き詰まっていました。

一方で、Aさん夫婦とお子さんの間には「水色のカーネーション」という大切なモチーフが存在するとのことでした。だからどうしても曲中に登場させたかった。
けど言葉のニュアンス、流れ、文字数的に収めることが難しい、、、
そんな中、カーネーションが花の種類の中では「ナデシコ科」に含まれることを知りました。

撫でし子

これに気づいたときには思わず震えてしまいました。
この曲のためにある花だと。

水色、青いカーネーションの花言葉は「永遠の愛、幸せ」です。また、ナデシコの花言葉は「純愛」。
それらから僕は「結婚」というシーンが思い浮かびました。
前述のとおり、生まれかわった我が子はその先で誰かと結ばれ永遠の愛を手にするでしょう。そんな二人を見送るとき、ふさわしいのはきっと花束です。
そしてAさん夫婦はそこに水色のカーネーションを挿し込むでしょう。優しく、我が子を撫でるように。

いつか生まれかわって、違う時間の中で
誰かと手を取りあうことでしょう
その時はそっと花束を
たおやかに揺れる撫でし子の花を添えて

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⚫︎曲の話

(詞の話をしすぎた、、、)

実は曲の話はそんなにすることないんですが、神話をモチーフにしたというところから、曲が醸しだす雰囲気もおごそかなものにしたいと思い、コード進行にはこだわりました。

| ⅠM | Ⅲm7 | Ⅵ7sus4 Ⅵ7 | Ⅶ♭M7 Ⅵm7-5 | Ⅳm7 Ⅳm13 | 〜
コード以外の書込みがうるさい

この曲のキーはCメジャーです。
C→Em7のあとのA7sus4→A7とかB♭M7→Am7-5→Fm7とか、なぜか手遊び1発目で出てきたので理論もクソもないんですが、曲の始まりにこの進行が入ることで、組曲の序盤のような、神聖な空気を演出できたと思います。

また、この曲はラスサビでそれまでのサビと違うコード進行・メロディーになります。が、実はコードの流れはメロと全く同じです。1音上がってるだけ。

この書込み通りには歌えていない

これは、この進行が出す空気が曲ととてもマッチしていてサビにも使いたかったんですね。
幸いメロは終始落ち着いたメロディーだったので、盛り上げるメロディーを載せるのであれば被った旋律にはならないだろうという思いもありました。
そして狙いどおり、曲の雰囲気を保ちつつ素敵なラスサビにすることができたと思います。
なので、曲を象徴するようなコード進行ができた場合、それを繰り返しつつ異なるメロディーを載せるというのは有効な手法だと思います。たぶんメロディーはがっつり変えたほうが良いよ。

最後に、曲の終わらせ方。
「dim7を半音落とす」ということをノリでやってみたんですが、これが素晴らしくハマりました。
オサレ雰囲気で終わりたいときにやってみて。トブぞ。

D→Ddim7→C#dim7→Dadd9(I→Ⅰdim7→Ⅶdim7→Ⅰadd9)

■しめくくり

書きすぎた、、けど書くことがあったのです。まだ書いてないこといっぱいある、、

「アモルとプシュケ」を通して、自分の作詞の"型"が具体化されました。

  • なぜこの曲を作りたいのかという十分な意義を見つけること

  • 伝えたいメッセージ、テーマを明確にすること

  • メッセージやテーマを広げどのようなストーリーを語るのか

  • ストーリーを投影する/ストーリーの柱となるモチーフを定めること

  • モチーフの背景、歴史などの詳細を知り、その中で触れた知識を言葉選びに反映すること

これらに従って物語とすることで、芯の揺るがない、説得力のある詞を紡ぐことができる。
作り方のルールが存在しない作詞という世界で、確信を持てるということはとても大きなことです。

改めて、僕の呼びかけに応えてくれたAさん、ありがとうございました。
その後アモルとプシュケを歌ったライブで挨拶させていただいた旦那さんも、そして今もお二人を近くで見守っているTくん、Iちゃんもありがとう。

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最後に、アモルとプシュケは自らの子どもに「喜び(ヴォルプタス、Pleasure)」という名をつけます。

どの親にとっても、我が子を想う気持ちは悲しみではなく、普遍的な愛と、喜びであってほしい、そう思います。

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