心に残る「若き指導者」の言葉
先日は、ボディコーディネーターの三橋大輔さんを招いての初企画
「身体覚醒プログラム」1日ワークショップを行いました。
もう、ほんと、来てくださってありがとうございます。
三橋さんを「スゴイ人だ」と実感と直感で思って
「今のうちならチバハウスにも来てもらえる!!!!!」と思って、勢いで企画したところ、はじめはせめて数人でも来てくださったら良いな、くらいでしたが、大盛況で、期待通り、期待以上の成果を持ち帰っていただきました。
「人生、本物とどれだけ出会うか??」
が勝負だと思っています。
本物と出会って覚醒する場所、とチバハウスを定義して運営しております。
その三橋さんのワークショップで初回企画限定、特別プログラムで参加全員のお悩み解決、改善タイムがあったのです!
三橋さんは教員として、限界のさらに限界にチャレンジされてきたと思います。
あらゆるレベルの場所を自ら選んで、生徒さんたちと関わって普通は嫌がるような極悪や不良(言葉が古いか)やトップレベルの優等生まで真剣に向き合ってこられたこと。
そして、世界に飛び出していく選手や企業の経営者たちのメンタルとボディを預かり、成果が出なければやっていけないトレーナーとしても高い評価を得ていること。
ですから、お若いけれども、おそらく、答えられない質問はないでしょう。
私の問いは
「通常のヨガクラスをこの12月で辞めることにして、私の人生でぷつりとヨガの時間がなくなってしまう、このことに関して心身の対応方法」でした。
17年前、原宿駅に向かって歩いていた時、「ヨガ」と言うキーワードが宇宙から降りてきて、その日から私は「ヨガ行者」となりました。
インドに精力的に通いヒマラヤでは死にかけました。
会社員時代はトイレに立つ度に呼吸法と体位法を行い、朝から晩まで祝詞やマントラを何万回と唱え、仕事としてからは、どんな場所でもどんな人とでもたとえ一人であっても、望む人がいたらヨガを提供する、と決めて本当に24時間がヨガでした。
2011年から修行者として生きることから次第に方向転換、そして、今回の決意となりました。
三橋さんに「チバさんはヨガを何のためにやっていましたか」と聞かれて、絶句してしまいました。
胸に何かこみ上げるものがあり
何で私はヨガをやってきたんだろう?
私は苦しかった
とても苦しかった
死んだ方がマシだけど死ねないとわかっていた
覚醒すればその苦しみから解放されるのではないかと思い、人生半ばで修行にしか興味がなくなった
覚醒を追いかけるその中で私は「幸福」を知った
自分自身がヨガの中でとてもクリアになっていく、調和の中にいる、
「天と繋がる」といえば言葉が平坦だが、満たされていった
そして、もはや修行は必要ではなくなり、たとえヨガの中にいなくても自分を満たすことを知ったのだ
三橋さんは「その天と繋がる行為を違う形で日常に入れること」を提案し、他の実例についてもお話してくださいました。
訳がわからなかったことを訳をわかるようにする
そんな魔法をお持ちの三橋さんです。
私は胸をなでおろしました、
もちろん、今後も好きな形でヨガもやりますけど
もうすでに、天を繋ぐ次なる行為はもう既にいくつか自分の中に湧き上がっている。
愛する人と過ごすこと、歌を歌う、お料理を楽しむ、
みんなと集いみんなで目覚めていく
自分がどうしたら良いかがよく理解できました。
ありがとうございます。
三橋さんが来年、また、チバハウスに来てくださいます。
性やパートナーシップと身体、美と身体、人生と身体、と、あらゆるキーワードでの提供ができる方、ということもよくわかりましたので、今後も覚醒企画して参りますので会いにいらっしゃってください❤️
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